Habby中野

すべての夜を思いだすのHabby中野のネタバレレビュー・内容・結末

すべての夜を思いだす(2022年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

間違って入った会場で美しい演奏を目にした時のような浮ついた心持ちのまま、『ゴッドランド』と同じあのカメラワークにタイトルが浮かび上がって大声で(小声で)叫んだ。緩やかでどこか噛み合わないセッションへの集中力の無さから目を離した先の、何もない空間への浮遊した視線。
ニュータウン。それは世界に切り立てられた空間で、そこは建物の外であり、中でもある。ある一室で、何かチラシを仕分ける女性。その後ろのテレビでは囲碁だか将棋だかの解説が流れていて、その音声と女性の行為の乖離は、全く集中力を持たない。それは彼女の、不器用で、場に似つかわしくない行動を取ってしまう、社会に対する適合性が薄いという個性を象徴しているようにも思う。間違ったバスに乗り、知らないところで降り、道に迷いながら目的地を目指す。しかしそこには目当ての人物はもういない。
ガスの検針員は、多くの人が知らない時間の中を歩く。昼間の団地の、老人たちの過ごす間延びした時間。それを埋めるように身体を動かしテニスに耽る姿は、視線を薄く遮るネット越しにだけ感じられる。自転車を漕ぎ回る大学生は、死者を想うのとは別で、団地の歴史に手を触れ、その少し滑稽な響きに耳を傾ける。
この固有の時間とそこを泳ぐように進む人間の身体。それはまるでこの街のように、内部を持ち、外部に切り立った建築物だ。世界を切り裂く、建築的身体。何者にも切り崩せない内部は、それゆえに外部を持ち、世界に触れ得る。世界にはあらゆる時間が重なって流れていて、外部は常にそこに触れている。それゆえに内部は、思い出すことができる。それは自らに内包する固有の時間だけではなくて、世界の無限の時間の一端だ。誰かが、ではなく、身体を持つ誰もが、世界に対し、あらゆる時間を思い出すことができる。
ガス検針員が一階のベランダにいる住民に別れを告げた後、カメラは突如としてその住宅の一室に居り、ただ虚空を見つめる。ことごとく、カメラから誰かが去った後、それを追うのではなく執拗にその空間を見つめる。まるで撮っているのは人間ではないのだと言うように。人間のいる空間、いなくなってもある空間、あるいはそこにもある時間を撮るように、立ち止まり佇む。映画の中で集中力を欠いた空間、緊張感のない時間が、小さな声でその存在を叫んでいる。
世界に内在化したニュータウンに内在化した家々に内在化した人々の中にある時間と空間と。ニュータウンという建築の中を迷い歩くその身体、間延びした時間の中を滲むことなく歩くその身体、季節外れの花火に燻り、世界を切り裂くダンスを踊るその身体。そこに対置される、不在の住宅、死、思い出。アナログからデジタルへ─メディア化された誕生日たちは、外部を持たずにただ記憶とだけなる。それは少し死と似ている。
身体を持った存在は、無辺な外へ向かって小さく生きているだけではなく、その中にも世界を持って生きている。時間が刻まれたテープが同時にその外にも時間を持つように、建築的に、その内外どちらにも存在の確証がある。だから自分の中にある記憶も、外にある見知らぬ記憶も、思い出すことができる。私たちは、いや人だけでなくありとあらゆる身体あるものが、そしてそれに触れ得るありとあらゆるものが、存在している。時間も空間も、記憶も、死も。
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