寝耳に猫800

パスト ライブス/再会の寝耳に猫800のレビュー・感想・評価

パスト ライブス/再会(2023年製作の映画)
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驚くほどシンプルなストーリーラインだが普遍的な感情が存在している、ちょうど人生と同じくらいところどころ退屈で寂しくてしかしときおり美しい映画

ちょっと地味な気もするが設定はきちんと現代性を備えている、一つはアメリカに住むアジア系移民としてのリアリティ、近年そういう映画は増えているし自らの世代でアメリカに移り住んだ人だけでなく2世が主役の映画まであるし、そのことがアメリカ人口比から考えて一定の主体性を獲得するまでになっている(だからピクサーも『マイ・エレメント』を作ったりしている)
本作の面白いところは12歳でソウルからカナダに移り住みNYに暮らす女性とソウルに留まり中国へ留学した幼馴染の物語であること、アジア系と言ってもそこには無数の出自が存在するし、同じ韓国系と言っても彼ら彼女らの感じる韓国への想いはグラデーションになっていて一人として同じ想いはない、米国に住むナヨン(米国名はノラ、今では親でさえ彼女をナヨンとは呼ばない)はソウルにとどまったヘソンと話すことで自分の韓国人らしさが相対的に弱いことを感じたり、むしろ逆に強く感じたりする、この感情はその人が取り結ぶ関係性と所属するコミュニティによって相対的に決まるもので、絶対的なものは何もない、そう考えるとNYに住んでいる人間、旅行で来た人間、全員が全員多かれ少なかれ周縁性を持った人たちなのだと感じる

もう一つの現代性は、他者と出会う形態の変化、とある友人と数(十)年会わないことにより自分の記憶の中に存在するその人と実際のその人にズレが生じていることが明らかになること、これは別に二十四年も経過しなくても、コロナウイルスが蔓延してから四年が経過し、直接顔を合わさない友人知人が自分の中にそのまま記憶として存在すること、画面の中にだけ存在することにより我々が実感したことでもある
そうやって自分の中に留まっている他者に関する記憶があり、社会が再び動き出し現在のその人に出会うと、驚くほど自分の中のその人とズレていることにときおり寂しさを感じたりする、しかし現在のその人も自分の記憶の中のその人も別のあり方で同時に存在しているとも言える(死者のことを考えてほしい、その人の肉体がこの世から消えたとしても、その人に関する記憶は家族友人知人の中に確かに存在している)、そこまで思い至れば、本作で二人が頻繁に前世や来世の出会いを引き合いに出すことも自然に感じられる

そんな前世の話をするときにキーワードとなる「縁(イニョン)」だが、この話については日本人としてはそんなに違和感がない反面新鮮味も薄いんじゃないだろうか(そんなに深い話だとも思わない)、こういう概念がたとえば日本の「禅」の概念と同じようにアメリカで体よくアジア的な美として称賛されて消費されてアカデミーの舞台に上がったのだとしたらちょっと複雑な感じはする、まあそれはちょっとひねくれた視点すぎるか