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旅するローマ教皇のブログ地政学への知性のネタバレレビュー・内容・結末

旅するローマ教皇(2022年製作の映画)
3.0

このレビューはネタバレを含みます

ーわずかな希望なのか、贖罪なのかー
9年間で37回、53カ国を旅する精力的な活動を描く
 第266代ローマ教皇フランシスコに文字通り密着取材して作られたドキュメンタリーである本作品で多用されるシーンは、彼の真後ろにカメラを取り付けて撮影された映像である。溢れるほどの民衆が熱狂的に彼を歓迎する。こうした撮影が許されるのは極めて稀なことなのだろう。なぜこれほどまでにこの教皇が受け入れられるのか、という素朴な疑問を持つ。もちろんこの映画で描かれているように、世界に蔓延する紛争、貧困、病気、災害、過去の遺恨など様々な問題に目を背けることなく現地に赴いて傷ついた人々に寄り添い、指導者に対し改善を求める姿に理由を求めることは容易である。しかし筆者はむしろというより単にローマ教皇というその宗教的権威にその答えを見る。そのような筆者には慈悲深い教皇の人々と接する姿も平和への訴えも立て続けに見ていると退屈さを感じた。

なぜ贖罪なのか
 ローマ教皇はカトリックの頂点である。もちろんキリスト教にはプロテスタントもいるし、東方正教会という別の流れもある。カトリックやプロテスタントにもさらに分派している。かつて教皇は西洋世界で絶大な権力を持ち、国王をも凌ぐことさえあった。その権力の絶頂期には、十字軍が組織、派遣され、多くの血が流れた。そうした行き過ぎた権力の行使はやがて宗教改革を招きプロテスタントとの分裂につながった。信仰という好意は個人の心の問題のはずなのに、封建領主下では庶民はその主人の信仰に従って他国との戦争に巻き込まれた。特に30年戦争で犠牲になったドイツ人は3割と言われるほどである。大航海時代には宗派に関係なく布教の名の下に世界を席巻し、先を争って植民地を獲得した。そうした植民地支配に起源を持つ争いは今でも続いているし、一見平和でも火種として燻り続けている地域もある。帝国主義時代は既に教皇の権力はかつてのものではなかったが、神の名の下に行われたことが教皇の言葉からも伺える。そうしたカトリックの歴史を背負う覚悟を持って教皇についたことが見て取れる。

初の南米出身の教皇として
 教皇フランシスコ自身もその故郷はかつてはスペインの植民地であったアルゼンチンである。ただ教皇自身は欧州系の出自であり、世界中のカトリック教徒を教皇として迎えるという意図とそれでもヨーロッパの血統からという保守性の節調なのか。だとすれば、非植民地出身の教皇の贖罪に意味があるのか。フランシスコ教皇自身の問題ではなく、カトリックというかキリスト教徒全体が歴史に向き合って欲しい気にさせる。同じ国、同じ人種として生まれながらも全く別の民族かのような境界を引いてしまった現実が今も世界の火種なのだ。

映像が伝える教皇の限界
 この映画で度々出てくるシーンがある。旅する教皇の飛行機内から写される景色である。軍の戦闘機に護衛されながら飛んでいるのである。受け入れ国が訪問者の飛行機を護衛するのは国際儀礼のうえでは最高級の扱いではある。また市中を車で移動中にはその道路を銃を持った兵士らしき人が警護している場面もある。そうした兵器に自らが守られて移動していながら、発する言葉が「私たちは自問すべきです。なぜ人を殺す兵器が売られているのかを。悲しいことですが、その理由はお金のためです」である。もちろんバチカン教国の国家元首でもある教皇が警護を拒否すれば、訪問自体が実現しないだろう。そうした現実に苛まれているからこそインドで非暴力で活動したガンディーを引き合いに出すのだろうか。自らは堅固な護衛されている身分の人が生身の体を剥き出しに暴力に晒されながら抵抗した偉人を持ち出して彼のような勇気を持てと訴えることに説得力があると言えるのか。

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