鈴木ピク

アイドルマスター シャイニーカラーズ 第3章の鈴木ピクのレビュー・感想・評価

2.3
全然整理できてない感想すいません。

良さもわかり、その上で弱いと思った。

第一章に比べると拝啓の撮影の濃淡が深まったような、少なくとも「スクリーンで正視に耐えない」ようなスカスカの画面はなくなったし、このキャラ達のCGモデルがライブシーンの為に作られたものだとしたらラスト、丸々二話使ってライブ本番の裏表を描き続けたのは、そこが勝算なのだろうし見れなくもない。

けれど、、、それが出来たところで?という疑問。
それは制作してるCG部門にとっては冒険だったかも知れないけど、視聴者にとって、これがシャニマスのアニメで観たかったものだろうか。自分にとっては1ミリも求めたものではなかった。
どんなにラストにとってつけたようなシャニPの台詞を持ってきても、enza版シャイニーカラーズが持っていた唯一無二のカラーはここにはなく、ありふれた二次元アイドルコンテンツと互換可能のものでしかない。
そもそも積み重ねのドラマも薄いので、せっかく長々続くライブシーンに「ライブシーンが続いて凄い」以上の感慨がわかない。

これは多分根本的な問題で、

enza版のシナリオが持っていた臨場感、その視点の主たるアイドルたちには「皮膚感覚」が備わっていたと思うんです。
けれどこのCGのツルツルした肌と立体感では、キャラの主観の中にストンと入りこむような感覚は再現できない。
例えばそもそもがキャラが快活にオーバーに動く世界だったミリオンライブがCGでも効果的だったり、また『MyGO』が「CGモデルのキャラだからこそ出来る活き活きした掛け合い」を主眼に置いたドラマ世界を構築した事に比べて、「シャニマスの良さが消えるスタイルでシャニマスをアニメ化した意義」が最後までわからなかった。

これはシャニソンで『天塵』のエピソードが縮小再生産されたのを見て、本編の良さが全然再現されてなかったというショックが自分の中で裏打ちする。

最後に2期を匂わせるストレイライト、ノクチルの姿が映されたけれど、このまま重力のないCGアニメで原作を再現しても、それは似て非なる「軽い物語」にしかならないと思うので、せめてポリピク版アニメではオリジナルの、CGで快活に動くからこそ生きる物語を新規に作り直して、それはそれとしてenza版の重力を持った作画シャニアニも別途制作してほしい。

もっと言うとシャニアニここまでも真乃の視点だけシャニマスっぽい湿度を雰囲気で再現しようとしているのだけど、enza版プレイしている時のような「ハッ」とする瞬間は一度も訪れず、シャニマスの下手なモノマネに見えてしまった。
たしかに真乃がステージの上から見た、とある「空」の煩雑さを絵として表現しきった点は素晴らしいのですが、そこにゴールするなら第一話でもっと明解な「助走」が必要だったのではないかと思う。
なんか、このアニメ生活感がないので、生活感の延長線上にある感覚の再現に長けたシャニマスの質感と位相が異なり続けているから、表現したいものを受け止めきれなかった。

全然まとまらないけど、、、つまりなんでシャニマスをこのスタイルでアニメにしようとしたのか、いまだ持って謎なのです。スタッフインタビューを読んでも、どこに勝算があるのか、シャニマスの強みをなんだと思っているのか、自分との間の齟齬を埋められない。
新規開拓するにしては「色」がないので、
ー映画館で観ると迫力あったライブシーンも、TVで観るだろう新規さんにとってインパクトになるかは?ー
結局ファンアイテムで終わるんじゃないかなと。

『輝きの向こう側へ』公開から10年経つのに、あのシャニマスがこんな保守的な内容でいいのか。よくないだろうというのが結論です。
鈴木ピク

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