無宗教な自分…とはいえ実家の仏壇には敬意を表するし、地域の神社に寄るときは手を合わせるし、近所の教会に縁はなくともどんな話をしているのかは気になるし…まぁつまり、他者の信仰心をないがしろにするつもりはないが、特定の神性に帰依するつもりもない人間、にとっては、モルターラ家を始めとしたユダヤ教徒側も、当時の最高権力たるキリスト教徒側も、その心理は到底はかりかねる。まして、現代とは比較にならないくらい、宗教と生活が分かちがたい時代において。
宗教は生きている人間のためのものなのに、これからを生きていく子供を苦しめるのは何なんだ?
一般市民も方策を講じれば、権力を糾弾し世論を味方に付けて体制の逆転をはかれる時代。だからこそこの事件は後生に語られるよう残ることができたのだろうか。
割礼(たぶん夢か幻覚のたぐい?)のシーン、男性諸氏の恐怖心はいかばかりであったろうかと思うと、手を合わせるほかない…。