統合と対立を繰り返すイタリアを背景に、ヴァチカンによって分断された実在するユダヤ人家族の物語。
敬虔な愛は時に残酷・・・という話でもあるかな。
ポランスキーの『オフィサー&スパイ』に、バーホーベンの『ベネディッタ』を混ぜて性描写を引いた・・・様な作品だったのだが、考えてみると教会をテーマにした実にイタリアらしい映画だったともいえる。
ハリウッド映画の様な潤沢な予算はなさげだが、そこは地元の歴史的建造物を用いたり、街の景観は舞台セットの様なパースのかけかたをしたりと工夫を凝らしていて、雰囲気がある。
観客やユダヤ人家族からしたらマイノリティーへの弾圧や子供への洗脳に思えるが、カトリック教会や一般市民からしたらカルトの宗教二世問題みたいな感覚なんだろうなぁ・・・と思うと、複雑な思いに駆られた。
それ故に、素朴で敬虔な善意が事態を悲劇的な状況に追い込んでいき、一見すると"地獄への道は善意で舗装されている"・・・という様な話にも思えるが、善行をしたとする人々が決して善意だけではなかったり、当時の欧米世界でも「誘拐」と非難されていたと考えると、貧しくも生々しくてグロテスクな事件だよな。
劇中で、大丈夫なの?というくらいカトリック教会はもちろん、教皇ピウス9世を滑稽に戯画化して、醜悪かつ哀れで惨めな権力者として描くのだが、宗教そのものへの思いは茶化さない。
カトリック教会とユダヤ教を画面上でも対立構造的に描くのだが、そこを「宗教で人が分断されるなんて...」とか「宗教が違っても神や愛は同じもので...」とか、ありがちで軽薄かつ尊大な価値観に落とし込まないのは立派。信仰や個人の宗教体験には尊重の気持ちを隠さない。
主人公の少年が夢の中で磔にされたイエスを開放するシーンがあるのだが、あれは人間の罪をイエスに背負わせて権力に胡坐をかく教会を皮肉っているのか、イエスを神の子ではなく一人の人間として哀れむユダヤ人としての感覚をあらわしているのか・・・などと考えてしまったが、間違いなく少年がイエスへの愛を覚える宗教体験のシーンであり・・・そこは大変に感動してしまった。僕はクリスチャンじゃないんだけどね。
出演者は、子役も含めて芸達者で素晴らしく、特に母親を演じたバルバラ・ロンキが、「憤り、慈愛、悲しみ」といった感情の変化を、その大きな目の表情だけで演じるシーンには魅せられた。
子供たちが大人になったシーンで、だれがだれだか風貌でちゃんと分かるのも見事でした。
ベテラン監督の堂々たる作品でしたよ。