カウリスマキの映画をみると、人生のイロって、酒、煙草、音楽、恋なんだなって思わされる。金とか名誉とか仕事とかじゃないんですよ。
いつだって彼らは金も名誉もなくて、青く薄汚れた作業着に身を包んで、硬そうなパンを空中ナイフで切って、味の想像がつかないスープをすすって、ばかにでかいラジオで音楽をきいて、ブルーの壁紙に赤いソファーをしつらえて、寝返りが打てるのかあやしい幅のベッドで眠ってる。ストーリーの展開はほとんどない、というか毎回同じで、毎回執拗に失業するし、捕まるし、殴られるし、恋をする。
なんなんですか、似た話なんべんも見てんのに、またこれか〜と思うのに、いったいなんでこんなに良いんすか。
ゴミ収集車の清掃員と、レジ打ちのパート。とてつもなく地味なのに、いったいなんでこんなに良いんすか。
正直、なに考えてるのかよくわからない。表情もなけりゃセリフもない。でも映画をみるときに”なに考えてるかわかる”って実はそんなに必要じゃないのかもしれない。そう思わされる。映画の味わいって登場人物の感情の機微が伝わってくるかどうかに左右されるもんじゃなくて、映像じたいの豊かさや、光や色合いの加減、間、音楽や表情、なんかそんなもんが肝要なのかも。
などと思ってしまう。カウリスマキの作品を見ていると。もちろんほかの映画をみたらきっと別のことを思うんでしょうが。
「デートと言えば 映画を観て酒を飲む これに尽きる」あんまりに至言だね。腕に彫りたいよ。