みや

52ヘルツのクジラたちのみやのレビュー・感想・評価

52ヘルツのクジラたち(2024年製作の映画)
3.0
杉咲花の熱演、志尊淳の支え、小野花梨の友情、子役の子のたたずまい、西野七瀬の豹変、池谷のぶえや倍賞美津子の味わい等々、トンデモ男の宮澤氷魚であっても、アパート玄関口でのシーンなど、良いところは山ほどあり、語りたいところもいっぱいあった。

なのに、トータルで自分はのれなかった。

なぜなのかを考えると、「演出が自分には合わなかった」というところに尽きる。

<以下はグチなので、読みたくない方はスルーして下さい>

一つは、様々な場面で「ほら、ここは感情を昂らせるところですよ」とささやいてくる(叫んでくる)かのような、大げさなストリングスがやたらと耳についたこと。
二つ目は、ラスト近くの杉咲花と少年の場面のように胸を打つセリフがあってグッときているところで、まさかの過剰演出でアレが登場…。盛り上げようとされればされるほど、気持ちが冷めてしまった。
そして三つ目は、登場人物の抱えている問題が、とことんステレオタイプにわかりやすく処理されていて、薄っぺらく見えてしまったこと。
原作は未読なのだが、その世界観を大事にした演出だったのだろうかと疑問に思った。
虐待やDVや性自認の問題に対して、観る側のステレオタイプな見方をなぞるかのような演出は、前日に観た「アメリカンフィクション」の中に出てくる、主人公モンクがヤケになって書いた小説と重なるが、それをよしと考えてわざわざやっているように見えるところが、自分には受け入れがたいのだと思う。

志尊淳演じる安吾は、杉咲花演じる貴瑚を救うにあたって、単に言葉だけでなく具体的な支援プランを探るところを丁寧に描くなど、雰囲気だけの話とは一線を画していてハッとさせられるし、虐待している母にかける言葉なども、本当に深い。
それらを、過剰な演出なしに、淡々と描き重ねるのは、日本の商業映画としては成立しないのだろうか。

と書いて投稿し、読み返してみたら、そここそが「夜明けのすべて」との違いなんだとわかった気がした。ちゃんと商業映画として、成立している作品もあるのにな。

(追記)
原作を読んだところ、52の支援について納得できる形で具体的に描かれているし、映画ではカットされているが、支援者の距離感についての重要な人物(美音子)も登場している。映画の尺や登場人物の精選という事情もあったのだろうが、そのせいもあって情緒的な押し出しが強く、違和感を感じてしまった面があるなと思った。
アレも、原作では大げさではなかったし…。
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