小津映画を観ると、海外文化がまだ溢れていない純然な日本に触れることができる気がして、日本人としてのアイデンティティを自覚し直すとともに、いつも背筋が少し伸びる。
時代を経て変わるものが沢山ある中、変わらないものが見事に抽出され描かれている故である。
遠い昔の物語ではなく、その時代の延長に自分も生きていると思えるような、そんな没入感さえ与えてくれるところが、黒沢映画とは違う小津映画の良さなのだろう。
「永遠に通じるものこそ常に新しい」と、
小津の言葉の意味が痛いほどよくわかる。
多くを語らない日本人ならではの美徳が希薄となり、常に論理性や言語化を求められる昨今に錯乱されてしまう自分にとっては、とても大事なデトックスであり、日本にとってもアイデンティティを後世につなぐ重要文化財だとすら思う。
秋刀魚が庶民の味の象徴である点は、今後どうなることだろうか。