この規模の邦画の場合、スタッフやキャストの方がFilmarksレビューをお読みになることも全然あり得ることで、しかしそれを意識し過ぎるとなかなか気を使ってしまうので、あえてそれを忖度しないで書きますね。
そもそも、この映画は原作者の中田夢花さんを尊重し過ぎた企画となっていて、それが良くも悪くも本作の特徴だと考えます。本作は、中田さんが徳島市立高校演劇部在籍中にお書きになって上演された高校演劇が原作で、本作の脚本もご本人が書いていらっしゃる。
山下監督の前作「カラオケ行こ!」についてのレビューで、私は山下監督そっちのけで野木亜紀子さんのアダプテーションを褒めちぎったわけですが、本作もあの作品と同様に、原作者じゃない方が脚本を書かれた方がよかったんじゃないかと思う。
本作の脚本構築には、中田さんだけじゃなく、山下監督やスタッフも参加してミーティングを実施なさったらしい。もとの演劇が1時間足らずしかないわけで、30分程度尺を延ばしてあるんですね。
山本先生側の描写が増えていたり、原作に登場しない野球部マネであるリンカちゃんのエピソードが追加されていたりというので長くなっているけれど、その反面、原作由来の成分についてはセリフやストーリーの流れはほとんど変わってない。
(「経口補水液OS-1」のくだりは逆にばっさりカットされてたけど)
「中田さんファースト」で作ると、そりゃそうなりますよね。作者として思い入れのある部分は変えたくないもの。山下さんやスタッフもそこは口出しできないもの。
本作の映画化は2度目で、最初は2020年の川原監督バージョン。
こっちはアダプテーションもほぼなくて、舞台の脚本でそのまま映画を撮ったという感じ。だから、尺も舞台の上映時間とほぼ同じ1時間程度。
出演しているのも、舞台を演じた徳島市高演劇部のみなさんなんですね。ちなみに、今回の映画化での役名は当時の演劇部の出演者皆さんの本名だったりします。
2020年バージョンは、それはそれでいいんですよ。
あれは、同一脚本で映像化しようという試みだったから。映像として記録しようという試みだったから。
でも、本作はミニシアター系での上映ではありますが、一人前の商業映画たりうべきもの。だからこそ、「客観的な第三者の、プロ脚本家によるアダプテーション」が必須だったのではないかと、観ながらずっと考えてしまったのです。
ちょっと話を変えますね。
舞台って、そこそこリアルだけど、抽象芸術じゃないですか?
だから、オリジナルの舞台ではプールに砂なんかないんです(下北での上演版は観てないので、徳島市高版について書いてます)。「砂があると思って観てください」で通用するんです。
でも、映画はもっとリアリズムだから砂は必要。
だから、本作は実際に砂がある。プール一面に砂がうっすら積もっている。
2020年版は、砂が少ないんだよなぁ。プールの端っこのほうにちょっと堆積しているだけ。
でもって、みんな本作以上に全然掃除してないんだ~。っていうか、「水のないプール」に降りてる時間が短くって、ほとんどプールサイドを適当に掃いたり掃かなかったりしてるだけ。
そもそもチリトリすら中盤でようやく持ってくる(本作では前の水泳部部長が追加のバケツを取りに行くシーンがありましたが、あれがオリジナルではようやくチリトリを取ってくるタイミングなんですよ)。
あと、2020年版は、失礼な言い方になりますが、映画的演出をまったく実行していない。
ただ撮ってるだけ。
基本的には全員を画面に収めるためのヒキの画で、回せる限り長回ししているだけで、カットを割るのは「こっちにカメラを置いた(というか全篇手持ちですが)方が便利だから」というタイミングだけ。
その点、今回の映画化では、きっちり「映画的演出」がなされてました。
必要があれば、時間をかけてでも叮嚀に会話を切り返しで撮る。あるいは誰と誰をフレームに収めるのか、収めないのか。
予算の違いがあるだろうって? そりゃそうなんだけれど、それにしたって本作だって予算なんか全然ないですよ。邦画の中でもかなりのスモールバジェットなのは観ればわかります。
山本先生パートの膨らませ方は、やはり原作者の中田さんのアイデアでしょうか。
原作でも本作でも、この山本先生だけが徳島弁じゃなく標準語なんですよね。それが、今回は福岡出身だからという設定になっていた。
私のような関西出身者以外の地方出身者は公の場では標準語を話しますよね。山本先生もそう。
原作では、山本先生の標準語はあくまで「画一的な支配者」という「記号」でしかなかった。それを今回、「公の場で方言を出せない別の地方出身者」にしてたのは、まあよかったかな。これも追加部分である「ココロとのやりとりにおける先生側の逆ギレ台詞で表出する博多弁」はよかった。
このレビューで、私が「中田さんファースト」を批判してるみたいに思われる方もいらっしゃるかもしれないけれど(それってアマチュアリズム全般の批判にも思われちゃうけれど)、やっぱり原作由来で見事なのは、終盤でココロがミクに言う「ここから!」が素晴らしいんです。これを指示代名詞じゃなく言うと、本作のタイトルになる。台詞として、タイトルは一度も出てこないのね。これは原作の見事なところ。
ラストで雨が降るのも本作の素晴らしいところ。
ずっと「水深ゼロメートル」だったプールに雨が降ると、その雨がすべてを洗い流すとともに、徐々に水深も増して。「水深」がゼロからこの後だんだん増える予感で。
そしてミクが劇中ついぞ踊らなかった「男踊り」。「静」から「動」に移動する瞬間。
もう1秒早くても遅くてもいけない、あの最高の瞬間に黒味になるラストショットの見事さ。
観てて、「はい、ここで黒味にして!」と思ったのとまったく同じタイミングで黒味が来た心地よさったらなかったです。
今回は、なにやら批判めいたことを多めに書きましたが、山下監督の「演出力」で、本作もやっぱり満点を献上しないといけないんじゃないですか?!
山下監督、今年はもう一本ヤン・イクチュンが出てる映画もすぐ来るんですよね!? めっちゃ楽しみです!
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どうでもいい追記
今公開されてるデンマーク映画「胸騒ぎ」って皆さんご覧になりました? あれってある意味ほぼ山下監督の「リアリズムの宿」だよね?!