KKMX

イカとクジラのKKMXのレビュー・感想・評価

イカとクジラ(2005年製作の映画)
4.1
 グレタ・ガーウィグ先生のパートナー、ノア・バームバックのどうやら自伝っぽい作品。短いながらもかなり濃ゆい作品で観応えありました。

 1980年代のニューヨーク。高校生くらいのウォルターと、小学校高学年〜中学1年くらいのフランクは兄弟です。両親は共に小説家で博士号を取ったインテリ。父親は大学で教鞭を取るものの、小説家は泣かず飛ばず。一方母親は小説が売れ始めて立場が逆転し始めています。フランクは母の味方で、ウォルターは父の味方。父親はとにかくプライドが異様に高く、母親はそんな父親にガチ切れしており、常に家庭内は不穏な空気が漂っています。そして、案の定離婚です。
 問題は共同親権で、子どもたちはなぜか週の半分ずつをそれぞれの家で過ごさねばなりません。両親が自分たちのエゴを通した結果、こうなりました。そのため、ストレスでフランクは奇行に走り、クズ親父に同一化したウォルターは愚かな態度を取り続けるようになる…という話。


 とにかく、この両親は基本子どものことを考えません。父親は笑っちゃうくらい自分が一番の人間。エラソーにあれこれ子どもたちに指図して、ちょっと家事をしただけでエラソー。床に落ちた肉を平気で食卓に出すレベルなのに。ウォルターへの恋愛指南は「地味目な子をコマして、本命用に練習しておけ」という、有害男性性丸出しのアドバイスをしてます。フランクの問題行動(飲酒はするわ、ところ構わず自慰をして精液をあちこちに塗りたくるという奇行!)のために学校に呼ばれても、「知らん」みたいな態度を取り続ける。終盤、ウォルターが昔を振り返るのですが、心酔している父親は登場せず、母親しか思い出せない。つまり、父親は子育てに関与していなかったのです。
 その癖コイツ教え子とかにちょっとモテるんですよね。エラソーで地位があると、モノのわかってない子にはモテるんですかね。しかし、クズ野郎なので結局愛想尽かされるのですが。
 母親は少し子どものことを考えますが、とにかく浮気しまくりの人で、フランクが夜に母の家を訪ねると、2階から浮気相手が降りてくる始末。しかもそれがフランクのテニスの先生!そりゃ〜フランク、あちこちに精液塗りたくるようになるわ!

 何より、子どもが1週間の内で、それぞれの家で過ごさねばならない、という取り決めがあまりにもメチャクチャ!こんなの、子どもはストレスで病むに決まってるのに、両親も両親だがそれを通した司法も司法だな!これから日本も共同親権になるけど、こういう事態が起きうる可能性が出てくるわけでしょ?家裁とか児相とかの職員がまともならば認めないでしょうが、制度がある以上、ダメ職員に当たればこういう地獄事態が起きますからね。とりあえず子ども家庭庁に『家庭』を入れさせた勢力を国民が認め続けていると、ヤバくなりますね。まぁ手遅れ感ありますが。

 人間誰もが未熟で、成熟に向かって生きるワケですが、流石にこのレベルはダメってラインがあります。それは、マジで子どものことを考えない、完全自己愛の人です。本作の父親は、まさに親になってはダメなタイプです。ブライアン・ジョーンズばりに親になってはダメな人。母親は揺れる気持ちが見えますが、父親はガチで自分のことばかりですからねぇ。
 この人、人生に行き詰まっているのに、恐ろしい勢いで目を逸らしますからね。「自分は博士様だ」 「自分は教授様だ」「自分は昔ヒットを飛ばした小説家だ」etc…
 しかし、ぶっちゃけその肩書きが彼を甘やかしています。落ちぶれたとしても、先生、先生とチヤホヤしてくれる人はいるし、肩書きとハッタリにダマされて寄ってくる若い子もいます。結構、社会的なポジションと有害男性性の持続は関係性がありそうです。だからこそ、女性の社会的地位の獲得が必要なのでしょう(裏を返せば、この親父みたいな連中が自分の惨めな自己愛を守るために、女性の社会的地位の獲得を拒み、現状を保持したいのでしょうね)。この手の人は、現状として惨めな態度・行動を取るのですが、もっとも惨めなのは、プライドが高くて変わりようがない点です。そして今後も有害性を撒き散らすワケです。


 フランクはめちゃくちゃわかりやすい問題行動を見せますが、ウォルターもかなりアレな感じです。彼は地味な努力で実力をつけるのではなく、ハッタリで自分を大きく見せることに終始しています。まさに父親のスタイルを踏襲している。なんでそんな表面だけ取り繕うやり方しかできないのか。高校生にもなれば、周囲の大人や友人の行動から、そろそろ上っ面のだけでカッコつけても、そんなハッタリはすぐにバレるとわかりそうなモノですが、彼はわからない。
 それの理由は、彼も両親の不和のストレスを小さい頃から受けていたからではないでしょうか。6歳の時、母と共に行った博物館に飾られているクジラとダイオウイカの闘いのデカいフィギュアを、怖くて見れなかったのです。これは両親の不和の象徴。怖いモノには目を瞑らざるを得ない、強いストレスがあったんですね。だからウォルターは両親の正体を直視できない。そのため、父親にかりそめの理想を見て、なんとか縋っているのでしょう。自分がフランクみたいに崩壊しないために。本作はそんなウォルターが現実を直視するように成長する話です。なので主役はウォルターで、バームバックは彼に自分を重ねているのでしょう。
KKMX

KKMX