あなぐらむ

何処へのあなぐらむのレビュー・感想・評価

何処へ(1966年製作の映画)
3.9
石坂洋次郎原作を、相性のいい井出俊郎が脚本にした東宝版。
監督はベテランの佐伯幸三。
原作は東北だが、1964年に開業したばかりの新幹線・岐阜羽島駅周辺に舞台を移し、農村部から開発へと進む小さな町で起こるさざ波のような波風を描いていく。「誰かがやって来る話」である。

前の赴任地で問題を起こして岐阜羽島の高校に赴任してきたイケメン英語教師・伊能(加山雄三)をめぐる五人のタイプの違う美女達と、学校内の校長派と教頭派、体罰賛成派と反対派の思惑が、この「外部から来た者」の存在で色めき立つ。今日起こった事が明日は町中に知れ渡っているような小さな社会。前半はこの町の全てを変えられそうに見える伊能だが、彼の存在がこの町の人々のそれぞれの立ち位置を映す鏡となって、結果的に彼が何かを変えるという事はない。
彼はそのようなアグレッシブな人間だとは描かれていない。渥美清が演じる体育教師・野口と対格にあるように見えて、打算も態度決定を強く行えない伊能は、傍観者にしかなり得ない。主役的な動きを、本作はさせない。
女性達もそれぞれの身の振り方を見つけて離れて行く。

岐阜羽島駅で始まり、岐阜羽島駅で終わるという構成は、タイアップとはいえ綺麗に物語の人の軸線を描き出し、伊能はこの時点では失恋して、想い人を「見送る人」となる展開が上手い。
大山鳴動して鼠一匹、派閥闘争もPTA会長が田崎潤では、致し方ないというもの。結果、伊能は宙ぶらりんとなる。ここは彼の安住の地ではない。「何処へ」行くのか。誰と流れて行くのか。
その相棒は芸者・新太郎(星由里子)では決してないだろう。それがあのエンディングの刹那的なエレキギターのダンスとなって迫ってくる(決して二人は笑っていない)。
この「面白うてやがて哀しき」こそ井出俊郎の持ち味だと思う。

若大将・明朗な歌謡スターの別の顔を見せる作品にして、成瀬作品や後の東宝ニューアクションに通じる、どこか「温度の低い」主人公を加山雄三が朴訥な感じで演じて妙味がある。
池内淳子、星由里子に稲野和子、沢井桂子といったヒロイン陣のちゃきちゃきと魅力を振りまき、池内の巧さ、星の溌剌さが印象に残る(芸者よりも洋装の最初と最後が魅力的)。稲野和子は東宝ではまた違う感じ。
脇役はほかに東野英二郎、山茶花究、浜村純に前述の渥美清に田崎潤。渥美清はまだビフォー寅さんで、この後彼が旅する失恋コレクターになるのは面白い。火野正平がお話をひっかき回す不良少年役で出演している。

撮影の村井博は大映で「最高殊勲夫人 」「女は二度生まれる」を担当した人。セットの使い方も丁寧だが、本作を象徴する新幹線とその駅周辺を捉えた望遠のショットが印象に残る。羽島の城下町の佇まいも趣深い。

冒頭の胃けいれんから東野英二郎のラブレター、パチンコやるやらない、などの細かい挿話が後半にさらりと効いてくる井出脚本の面白さ、粋な感じと役者のアンサンブルが堪能できる仕上り。
山本直純のゴキゲンなスコア(お琴とブラス!)も耳につく。

本作は宝塚映画だが、「続・何処へ」は森谷司郎が監督となり、東宝製作に変わるようだ。