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父親たちの星条旗のNMのレビュー・感想・評価

父親たちの星条旗(2006年製作の映画)
2.0
日米両方の目線から描かれたというのが主要なコンセプトらしい。
二部作で、この第一部である本作はアメリカ側から見た話。

間違えて二部の方を先に途中まで観てしまい途中でこちらに変更したが、どちらから観てもそこまで問題はなさそうだった。
こっちから見ると実はこんな事実が、という作品ではなく、実は両軍ともディテールこそ違っても状況は似たようなものでした、という主旨だと思う。戦争に勝者も敗者もない、というような。

アメリカ目線で描かれているのでは、アメリカ万歳でしかないのでは、と無意識にレッテルを張って身構えていた。
何しろあの写真はどう見ても英雄的アメリカ軍人たちをとらえたものだから(これは私の知識不足であり間違い)。

だが冒頭、老いてなお戦争での傷が癒えないらしい老人の独白で早速指摘される。

「戦争を分かった気でいるやつはバカだ 特に戦場を知らぬ者に多い
皆単純に考えたがる 善対悪、ヒーロー対悪
実際はそうではない」

はい、すみませんでしたと言いたくなる。こちらの思いを見透かしたような指摘。私のような者のためにある映画だ。大人しく観進めることにする。

「彼ら(この老人の知人たち)は自分を英雄とは思っていなかった
多くは栄光とは無縁に散り、戦場でも写真もない 見ていたのは仲間だけ」「劇的な写真は時に戦争の勝敗すら決める」

しかし遺族や国民らには説明し納得してもらう必要があるので、分かりやすい形で伝えられてしまうという。それに国民を団結させコントロールしやすくしたい。
なるほど。何だかこれだけで既に戦争というものの一部を学んだ気になってしまいそう。だがすぐ分かった気になってはまた老人に怒られる。

何事もそうなのかもしれない。表面やエッセンシャルだけを大まかにざっと知っただけで分かったような気でいると、恥をかいたり、間違った事を他の人に伝えたり、誰かを傷つけるかもしれない。
1日で学べる!5分で分かる!といった謳い文句のものにはそれを理解した上で触れる必要がある。

戦争においての写真の意味も示された。なぜ軍に報道班や新聞部等があるのか納得できる。
実はあの写真には隠された事実が隠されていた。

前半は、老人の回顧に始まり、続いて当時米軍が硫黄島に初めて上陸するまで、そして英雄誕生までを描く。

この撃ち合いのとき米軍しか映っていないが、日本人の絶対にこの島は渡さないという強い執念を感じる。姿が見えないことが余計怖い。どの戦争でも相手の顔が必ずしも見えるとは限らないだろう。見えない相手と戦うから怖い。

米軍の財力も無限ではなく不況で資金は不足していたので、この写真はとても都合の良い写真。国家はなんとしても利用したい。
写真に写った英雄(とされた)たちは本土に戻され、国債購入の促進のためにパーティーやらパレードやらに引っ張りまわされる。
一目見て激闘の末に勝利を収めた米軍の雄姿と思えてしまうあの写真。

英雄とされた若者らは真実を話したいが、この影響力と事の重大さを考えるととても言い出せない。こうしている間にも仲間は前線で命を賭けているというのにいたたまれない。
やがて状況に対応していくもの、逆にあまりのストレスに荒れだして再び戦地へ帰される者も。誠実過ぎる彼には特別扱いがかえってつらかった。

先住民の差別も垣間見えた。いくら国に貢献してもインディアン呼ばわり。

戦争が終わると彼らの人気は収まり、残りの人生を静かに過ごした。そして写真の真実も明らかにされたが、それによって彼らは特に状況が上下するようなことはなかったようだ。
ただ遺族の思いははかり知れない。
そして今日ではまた(私のように)写真について誤解している人が少なくないという皮肉。

作品曰く、英雄とは現れるのではなく必要に応じて作られるもの。そうでもしないと失われた命に対して理解ができないから。
エンディングロールのスライドショーは当時の実際の写真らしい。ここでも写真の力を思い知る。作品が誇張ではないことが想像できた。


メモ
・縄網を昇降するときは縦の縄を掴む。
・硫黄島は縦8.9km横4km。
・大戦前、島民はイオウトウ、軍の一部はイオウジマと呼び、海図にもジマの方で書かれ広まった。2007年に元島民らからの提案により、その後正式名称がトウに統一された。
・現在は海と空の自衛隊基地がおかれ、関係者以外立ち入り禁止。このため世界遺産等の登録から外されている。旧島民でも帰還は認められず年に数回の墓参しか許されていない。火山活動と隆起活動は今も盛ん。
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