三四郎

花つみ日記の三四郎のレビュー・感想・評価

花つみ日記(1939年製作の映画)
4.1
久しぶりに良い映画を見た。心を丁寧に丁寧に描いた映画だ。
吉屋信子らしい女学生もの、Sものと言ってもいいだろうか。おそらく原作も純情かつ繊細で傷つきやすい少女の心をうまく描写しているのだろうが、映画においても演出が見事だ。

ちょっとした行き違い、気持ちのすれ違いで絶交してしまったみつると栄子。
栄子は、大好物の切山椒を東京から送ってくれたみつるの兄が出征することを知り、みつるの兄の為に、さらにはみつるのことを想い、体調の悪い中、千人針を求め夜になるまで雨降る街頭に立つ。そして体調を悪化させてしまう。
ベッドの中で母親に語る言葉が心に響いた。
「ウチ、もう死んでもええのや…。(略)
お母さん、天国ってほんまにあるやろか?(略)
いくら用があったかて、みつるさんもう来てくれへん」

その後ベッドの中でみつるとの思い出を回想する栄子。その場面転換に挿入される川面がキラキラ光る橋の上。
母親がキリスト教徒だというみつるに栄子は問う。
栄子「ねぇみつるさん。天国ってほんとにあると思う?」
みつる「なぜ?」
栄子「なぜでも」
みつる「私…わかんない」
栄子「みつるさんが天国ってほんとにあると思うんだったら、私もあることにするわ。だってさ、死んでもまた天国でみつるさんに会えるんだったら、私天国があった方がいいもの」
みつる「私だって死んでも栄ちゃんと遊べるんだったら、天国があった方がいいわ!」
このシーンが2度映画の中で流れるわけだが、1度目のシーンを観たときは、ただ栄子の方がロマンチストだとしか思わなかった。しかし2度目の回想シーンの時は、以下のように感じた。
栄子は芸者置屋の娘ゆえに早熟で、世の中のこともだんだんと分かり始め、大人になりかけているが故に、何かしら「確かなもの」「信じられるもの」を求めていたのだろう。それに対して、みつるはまだ無邪気さが残る少女なのだ…と。二人の少女の境遇と運命の対比でもあったのではなかろうか。

先生の誕生日にプレゼントしようとした人形にも栄子とみつるの「イニシャル」を栄子が書いていたというのが泣ける。そのイニシャルを一度もスクリーンに映さず、仄めかしもせず、最後に栄子の口からのみ言わせるというのがまた実に良かった。
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