kuronori

バルジ大作戦のkuronoriのネタバレレビュー・内容・結末

バルジ大作戦(1965年製作の映画)
3.0

このレビューはネタバレを含みます

良作!戦車映画発掘隊☆
(そろそろ解散か(笑))

昔観たのを、 戦車に興味もったのをきっかけに再観賞です。昔と今では大分印象が違いますね。

昔はあまり戦争映画を見なかったのですが、この映画は好きでした。シミュレーションゲームみたいな戦争映画だというイメージでした。無敵状態の独軍の進撃が、燃料切れで止まってしまうところに特にそれを感じてました。
また、これだけの数の戦車が登場する映画もなかなか無いという豪華さも感じていました。

さて、改めて観賞して思うところは、というと…。
時の流れでしょうか、今回そんなに豪華さは感じませんでした。「ロード・オブ・ザ・リング」あたりから映画で大群同士の激突が描けるようになって、「量」の多さには慣れて来てしまっているせいでしょうか?こちらは本物で揃えた「量」なんですけど、やはり観客としては慣れてしまっている。
それと、やはりこれは戦史を描いた作品というよりも、フィクションの度合いの高いエンタメ作品なのだという感想です。比較的自由にキャラクターを創造していて、話をまわしています。例えば、テリー・サバラス演じる人物の造形が面白いです。軍需物資をがめてさばいて儲けをあげている彼は、戦争自体に全く関心がありません。がめた物資を管理させている女性が自分に好意を寄せていることに気づいていても一顧だにしません。彼の関心があるのは金だけです。ところが独軍の攻撃によって彼女が亡くなると、彼は全てを捨てて復讐の鬼と化すのです。
また、優秀な部下に頼りきってダメダメになっていた新米士官が、その部下を失った後、逆に上官を失って途方にくれている部隊にたまたま出会って頼られてしまい、成長していくエピソードも面白い話です。この辺りをもう少し演出に凝ってやってもらえるとまた一味違ってきたのかなとも思います。
全体のストーリーに関していうと、やはり、スーパーヒーロー的な活躍をする人物や死力を尽くして頑張った後の起死回生の一撃で勝負がついた…とかいう話ではなく、「燃料不足」という経済的な形で決着がつく点は面白いと思います。
大量の戦車の派手な姿を見せたり、ロバート・ショウ演じる独軍のヘスラー大佐を軍人として優秀で実質的な主人公として描いたり、独軍の強さ優秀さを積み重ねてみせればみせる程、最後の、戦車の性能や戦略の見事さといった部分とは全く関係ない経済的な要因で破滅していく無情さが強調されます。
しかし現代の目でみると、やはり全体の戦いを一燃料拠点の奪い合いに集約してみせるやり方は、分かりやすくはありますが、リアリティー的にちょっと疑問符がつきます。実際の「バルジの戦い」では、経済的なことは大きな要因ではありますが、その他にもいろいろな要因があって、独軍は敗退しています。そもそもがかなり無理な作戦だったわけですし。
また、「T-34 レジェンド・オブ・ウォー」を観てしまった後では、戦車同士の戦いに、駆け引き的な見所があまり描かれて無いのも今一つ物足りないと感じてしまいます。ティーガーがどう強いのか、自砲の有効射程距離の遥か彼方から飛来してくる砲弾が簡単に連合軍戦車の装甲を貫いてしまう様子とか、なんとかティーガーの近くまで寄れても全く装甲が貫けない様子とか、逆にその機動力の低さとか、そういったディティールが描かれてこそのアクションのような気がします。時代劇の合戦シーンなどもビジュアル的にはワクワクしますが、ただただ大軍同士のぶつかり合いだけでは、すぐに飽きてしまいます。当たり前ですけど。長篠の戦いなんかが人気あるのは、作戦と効果が目に見えて描けるからでしょうね。

あと以前はあまり気にしてなかったのですが、中途半端に知識が入ってきた今(笑)、登場車両に色々と気になるところがあります。なんだか朝鮮戦争時点のものが多いような気がします。
一番違和感を感じるのは、もちろんティーガーIIを演じる米軍のM47パットン中戦車です。朝鮮戦争前後くらいの戦車で、設計が新しくすんごいスマート。傾斜装甲を取り入れたばかりの無骨で巨大なティーガーIIとはちょっとイメージが違います。どうやら当時、朝鮮戦争に向けて量産にかかったところ、戦争は終了するわ後継機種も登場するわで、大量にだぶついていた車両のようです。
それに、ジープが違う。第二次大戦で使用された初代ジープ達「ウィリスMB & フォードGPW」は「奥目」なのですが、画面を駆け回る「出目」のジープは「ウィリスM38」。これも朝鮮戦争で初投入された車種です。(ワンカットだけスタジオ撮影っぽいシーンで、停車している初代ジープが登場します。ウィリスなのかフォードなのかはちょっと区別できません)
つまり「質より量」で、撮影当時に大量に用意できる車両を集めてきたのだと思います。繰り返しになりますが、CGのなかった時代に、実物を揃えて大戦車戦を描いてみせる手段だったのでしょう。

最後のシーンは、ヘスラー大佐と袂を分かって歩兵になっていた元大佐付きの老兵が、生き延びて、武器を捨てて身軽になって歩き去っていくところで終わります。大佐の最期の無情さと対比させているのでしょうが、私には、今一つ説得力が無いような気がします。私と同様にピンと来なかった人は多いのではないかと思います。
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