まぬままおま

ヘルレイザー2のまぬままおまのレビュー・感想・評価

ヘルレイザー2(1988年製作の映画)
4.1
続編が面白いのは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』しか認めてなかったのですが、本作も素晴らしい!
それは前作が大ヒットして制作費が潤沢にあるから美術やセットに多がk…
おっと、セノバイトがきていました。面白いのは、地獄が現実に存在するからです。

以下、地獄をみてからで。

本作は、生き残ったカースティとセノバイトの魔界でのバトル映画になるのかと期待していたが、カースティのボーイフレンドは警察のセリフで物語からすぐに退場されるし、彼女は〈事件〉の証言を妄想とされて精神病院に収容される。そう本作は、セノバイトが一向に登場せず、人々の「精神の迷宮」がパズルボックスとリフレインされて語られているのだ。

カースティは〈事件〉のこともあって父を取り戻すことに固執している。さらに父を殺した伯父のフランクと母のジュリアにも確執がある。彼女は家族の問題に囚われており、その語りがまた精神の異常として「診断」されてしまう。
しかしそう診断する院長のチャナードもまた囚われている。それはパズルボックスの謎を解き明かすといった知への探究心だ。そのために実験体として精神疾患者を幽閉して、虐待するのだから狂っている。そんな二人がジュリアの復活により対立関係となり、パズルボックス≒地獄でバトルを繰り広げるのが本作なのだ。

カースティは父を取り戻すために地獄を這いずり回る。母との思い出や伯父とのトラウマとも闘う。それは苦しいし、悪夢にうなされる気分だ。しかし同じく母との関係を引き裂かれ、チャナードに幽閉されるティファニーと迷宮を駆け回る。助け合う。チャナードを倒していく。カースティが家族の問題を解決するのに、ボーイフレンドはいらないし、チャナードの助手のカイルといった男は必要ない。同じくトラウマを抱えるティファニーで十分なのだ。その時、二人は絆で結ばれる。そして病院からの退院ではまるで母娘のようだ。このように考えれば、本作はシスターフッド映画とも言えるし、母娘の描き直しの映画とも言えるだろう。

ではカースティとティファニーのトラウマは完治されたのかと言われればよく分からない。そういった物語の筋道は本作の迷路のように存在しないし、「こわさ」が先行してしまっているとは言えるだろう。そもそもジュリアが復活するのもよく分からないし。でもいいんです。それが地獄なんです。理屈も解決の光もない。ただそんな苦しみの中にいるのが地獄であって、本作自体が地獄なんですから。

蛇足
4人目のセノバイトが普通に登場することも、ホームレスも前作で登場してなかったかのように扱われているのも笑ってしまった。けれど、続編のためにラストちょっと出てくるのおかしすぎる。3も楽しみですけど。
あとラストカースティとティファニーが迷宮から脱出するときの元気玉みたいなの、あんだけ飛び交っているのなら一個ぐらい当たりそうですけど。二人はフル無視だし、全く当たってないの演出としてやりたいだけやんと笑ってしまった。
「こわさ」としては鏡がよかったですね。6面ぐらい登場するの。

補記
ジュリアが復活したときは前作と同様に骨と筋肉だけだ。しかしチャナードはそんなジュリアの姿に惚れてキスをする。丸い胸もお尻もないのに。その姿はフランクとそっくりなのに。骨と筋肉だけなら男女は関係ない。その時、私たちは何を愛しているのか。とまどってしまった。