レオピン

地図のない町のレオピンのレビュー・感想・評価

地図のない町(1960年製作の映画)
3.8
脚本に橋本忍 『悪い奴ほどよく眠る』は3か月後の封切り。同時並行で書かれたのだろうか。
河川敷の煙突 鉄条網 ガスプラント 味の素の工場 昭和30年代のロケーションがいい。パチンコ屋も映画館もあんなに夜遅くまで営業していたんだな。

とにかく滝沢修の悪役ぶり。直近で、『黒い潮』の人間味のある上司を見たばかりなもんで、最初気づかなかった。『忠臣蔵』では吉良役、『戦争と人間』では財閥当主をやってたが、ふり幅がすごい。この映画の魅力は、市会議員であり土建屋の社長でヤクザの親分で競輪場のオーナーでもある梓米吉を演じた滝沢修だ。背中に消えないお絵描きのある代議士はこの時代珍しいことではない。小泉の祖父だって足まで全身彫り物があったというし。。

中盤過ぎまで回想シーンで引っ張り再び冒頭に戻る構成。主人公含め妹の吉行和子、幼馴染の南田洋子にその父の浜村純、傷マサと呼ばれるヤクザ者の山内明。それぞれ梓にヒドイ目にあい恨みを抱えていた。誰もが犯行の動機を持っていた。だがこの終盤のヒッチコック風サスペンスは失敗していたなぁ。

葉山良二が狼狽えすぎなんだ。メ メスがない・・・ と言うところで思わず笑ってしまった コントの時のウッチャンの顔に見えてしまって 以降自分の中でサスペンスは遠のいた。

力ある者がのしあがっていく。戦後というのはリアルタイムでこういう姿があちこちで見られた。バイタリティーにあふれる人間こそ正義みたいなところがあったのだろう。議員であり実業家でもある梓の周りに、新聞記者や弁護士らが取り囲んで親しく会話をしていた場面が印象的。ネットワークこそが力。貧民たちは集会すら潰されてしまいつながりを持てないでいた。

因果応報を迎えてのお葬式の場面。「悪事を罰する法律はあっても、正直な善人を守る法律はない」 と臆面もなく堂々と主人公に言わせる。善人と悪人、世の中には我々のような人間が一番多いのだと。だがいい意味でも悪い意味でも歴史は力のある人間によって動かされてきた。弱者こそが正義とまでは言えないのではないか。最後の弱者のルサンチマン的な台詞に違和感。宇野重吉はイエスのように彼らの分まで罪を背負ってああなったのか。うがって見れば主人公は重荷が降りたからあんなことを言えるのだ。妹の言うことは正しい。言えばいうほど悪の魅力に惹かれてしまうわ

ミステリーとしては河原で5人が集まって、「アンタにはできっこないわ」と言い合っていた所で終わった方が自然。その後とっくみあいの喧嘩でも起こすか、それか遺影を前に焼香台の前で何も言わずに拳銃をぶっ放し、「まだタマは残っとるがよ」と言わせるかした方が自分好み。

やっぱりどう見ても中平康は社会派に向く人ではないよなぁ、しかしラストの俯瞰ショットにはド肝を抜かれた。


⇒音楽:黛敏郎
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