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緑色の髪の少年のtakのレビュー・感想・評価

緑色の髪の少年(1948年製作の映画)
3.4
ミニシアター通いが大好きだった1988年、「RKO映画の全貌」と題した特集上映が催された。「市民ケーン」「キングコング」など有名作や初公開作が並ぶ中、さんざん迷った末「キャットピープル」と「遊星よりの物体X」のホラー二本立てをチョイス。どちらも80年代にリメイクされてたし、今後劇場で観る機会が最もなさそうな気がしたからだ。ラインナップの中で、興味をそそられた作品が「緑色の髪の少年」。

それからウン十年後。配信で観られるじゃーん、いい時代になったねぇ。上映時間短めだし、昨夜の歓送迎会でちょっと疲れたコミュ障気味の僕にはちょーどいい気分転換かもっ。と安易な気持ちで再生ボタン。

冒頭、スキンヘッド少年取り囲んで「名前言ってみ?」「学校どこ?」と問い詰める大人たち。そこに児童専門と名乗る医師が話を聞くぜ、とやって来る。待てよ、この医者ロバート・ライアンじゃん。この役者のニコリとした表情なんて見たことないぞ。そんな渋オジはハンバーガーを少年に与えて、「食ったんだから話さないのは失礼だぞ」とかなんとか脅しめいたことを言う。すると「長い話になるぜ」と、まるでハードボイルド映画みたいな切り口で、ピーター少年はこれまでのことを話し始めた。

88年の僕は、本作を「光る眼」みたいな侵略SF映画だと勝手に想像していた。その後違うとは聞いていたけど、映画前半はクラシック映画らしい善意に満ちたストーリーにほっこり。親戚を転々とした少年が優しいおじいちゃんと暮らし始めて、次第に心のトゲが取れていく様子が描かれる。給仕の仕事をやっているおじいちゃんは、歌って踊れる楽しい人物。時々ミュージカルぽくなる演出。あー、ハリウッドクラシックらしいよな。監督誰だっけ…え?「エヴァの匂い」のジョセフ・ロージーなの?あれ一筋縄でいかない映画だったやん…。

不安は的中。賑やかに歌いながら戦争孤児のために古着を集める活動をしたピーター少年は、唐突に自分も戦争による孤児だと知らされる。両親が戻らない理由が何かを薄々感じてはいたけれど、ショックを受けるピーター。そして一夜が明けると彼の髪は緑色になっていた。

そこから映画は、偏見や差別の眼がどれだけ厳しいのかを、これでもかと見せつける。林で出会った戦災孤児たちと話す場面。ピーターや孤児である僕らは他の子供とは違う。髪の色が違うのもそのせいだと言われる。戦争を憎むピーターはその考えを受け止めて、戦災孤児だと自ら言ってまわるようになる。一方、髪の色が原因で学校に行けなくなり、大人たちからも嫌がられ始める。これまで頼りにしていたおじいちゃんやお医者さんも、納得できることを言えない。ついに大人たちはピーターに髪を切るように迫ってくる。床屋を取り囲み、覗きこむ人の眼、眼、眼。ディスプレイ越しにこの物語を見守っている僕らが、床屋を取り囲む偏見の持ち主なのかを問われているかのようだ。

いろんな意味で怖っ…。第二次大戦後の1948年に戦災孤児の置かれた姿を描くことにも意義があるし、当時まだ珍しいカラー作品で緑色の髪を表現したことにも大きな意義を感じる。RKO映画って挑戦的な作品を生み出していたのだなと改めて思った。




※以下、独り言でございます

そーいやぁ、昨夜の歓送迎会って宴の場もいろんな眼が注がれていた。
来た人に向けられる眼
去る人に向けられる眼
名残惜しさや寂しさもだけど、本当はどう思っていたんだろ?思われていたんだろ?と相手を探るような視線も飛び交う。この手の飲み会はほんっと苦手。慕われる人、親しまれる人、そうでない人ってどこか線引きされてるのを、誰かに観察されてる気がして。一夜明けて、緑色の髪の少年をとりまく視線について考えながら、気分転換どころかどよーん。ちょっと疲れてるのかなー。いい歳して気にすることでもないのだけど、人間模様について考えたコミュ障気味の私でしたw。来週からも頑張ろーっと!😊
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