ぎにょる

リュシアン 赤い小人のぎにょるのレビュー・感想・評価

リュシアン 赤い小人(1998年製作の映画)
5.0
何かもう! 何とまあ! 得体の知れない素晴らしさで貫かれた大傑作中の大傑作!!!
スコア50億とか500無量大数でも足りない。
映画がふいに正体不明の幻想を勝ち得ることがあると、幽霊を見ることが叶うくらいの信憑性で信じている部分が私にはあるのだけれど、これはまさにそう言った気高く野蛮に美しさが宙吊りされてる映画だった。

ミシェル・トゥルニエの原作『赤い小人』は、形の大小・正常異常はどうあれ人間なんて血と糞尿が詰まっただけの皮袋だ! と言った辟易するほどの内面の醜さを発露した犯罪小説の短編と言った趣でウンザリするほどシニカルな小品って印象だったので余り期待せずに観たけど、見終わったあと暫く茫然自失どころか記憶喪失で夢遊病にでも魘されてるような奇妙な恍惚に耽りました。

とにかく倒錯的で、情欲に溺れる太って老いたオペラ女優が抑えきれない劣情を催し電話でリュシアン(小人)を呼び付ける時にその容姿も揶揄して「手足のついた性器ちゃん」と呼んだり、まあ痺れます。リュシアンが女装しながら鏡の自己に独白してるのを猫だけが見てるシーンで化粧が施されていく様子と猫の超ドアップを切り替えで見せるのめっちゃドギマギして心臓が潰れるかと思いました。それからの孤独と殺意と情動の常軌を逸した狂気の爆発力ったら、もう堪りません。

で、この映画の凄いところは、ここまでが大体の半分で原作としては殆ど全体なのですが、映画はここからサーカスを主題にまさかの(そこまでフリーク度は高くないにせよ)キャサリン・ダン『異形の愛』のような異様でフリーキーな煌めきを獲得していくのです。

サーカスの少女・イジスが眩暈するくらい可愛くて本当に天使過ぎてツライ。

海岸でデートしてるリュシアンが砂浜に足で線を引いただけのロープを仮想にしてイジスが綱渡りしてみせる場面の輝きとか、それから逆立ちのままの会話とリュシアンの眼に映る海と空が逆さに映し出される光景とか目も胸も壊れるんじゃないかってほどの眩さ。ラストのサーカス場面まで怖いぐらいの美しさで串刺しにされる愛と不滅の幻想的映画マジック。

何なの、あの緊張感と不安な輝き。

全てを呪い過ぎて、憎くて憎くて憎み過ぎて、憎悪することで一体なにを憎んでいるのかすら分からなくなるほどの悲劇なのだけれど、それでも悲劇性で悲劇を超えるのだ、止まることのないファルスよ永遠に!
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