キムカン

ビューティフル・マインドのキムカンのネタバレレビュー・内容・結末

ビューティフル・マインド(2001年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

ゲーム理論におけるナッシュ均衡という人口に膾炙した理論の提唱者である数学者ジョン・ナッシュと氏の闘病を献身的に支えた妻アリシアの半生を描いた作品。

最も印象的だったのは、氏の学術的功績がノーベル賞として実り、式典において彼がスピーチをする場面。時に意思疎通を情報交換とのみ捉え、厳密さを追い求めがちな彼は、妻へのプロポーズの言葉さえ、他者の理解の範疇を外れかねない抽象的なものだった。二人の関係が幾多の困難を経て継続されたのも、不器用なプロポーズを「宇宙が無限であることを誰もこの目で確認できないのと同じように、愛もまた不確かなものなのだ」と嗜めつつ受け入れることのできたアリシアその人であったからこそだろう。数学に人生を捧げた彼が、先のスピーチにおいて世界を説明する真理の探究と並べたのは妻への感謝であり夫婦の愛であった。それはプロポーズから続く二人の人生の連続性を想起させる味わい深い場面なのだ。

また、学者の生態描写にも心惹かれた。時に才能や出世、社会的賞賛などに関わる嫉妬心に苛まれつつも、学術の世界でしのぎを削る学者集団による真理の探究活動は、けして華々しいものではない。そこにあるのは「ただただ知りたい」という欲求なのだろうが、本作品の白眉は、そうしたヒトの性の先にあるもの、真理の探究過程において発現する欲求の類型を垣間見せてもいることだ。不可逆的な病理を有しつつも健康的であろうとした氏が、その習慣づくりの中で「傾向性を発見したいという欲求」をダイエットのように我慢する生活態度に行き着いている。妻とのロマンスの中で描かれた、星の煌めきの中に「傘」や「蛸」を即座に発見してみせる能力もそうした彼の数学者たらしめる性質の片鱗だったのだ。人が誰しも抱く知りたいという気持ち、その探究過程で発現する欲求の矛先は傾向性に限らないはずだ。自分自身の好奇心を突き動かす原動力は何か、そんな問いかけもこの作品からは聞こえてくる。
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