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『ルナ』に投稿された感想・評価

近親相姦が扱われたなかなか攻めた作品。最後まではしやんかったけど、観たらあかんものを観てる感がすごかった。

母にとっては夫であり、息子にとっての父親がいないというのがこれほどまでに影響を与えるんや。愛が行き過ぎたというよりは、ぽっかり空いた穴を埋めようとして、母は息子に絡んだような描写。息子のほうはよくわからん。母との深いキスをあんな簡単に受け入れたのは何故か。嫌がるそぶりもなく、かと言って何か理由があって受け止めた感じでもない。ただただキスをしてるだけに見えて、意味が見出せなかった。セックスを一歩手前で辞めたのも、どういう気持ちがあって、どういう判断をしての行動だったのかが伝わってこない。
 しかも母と息子の近親相姦的な関係性は、息子の本当の親父とその母から受け継いだ関係みたいな、そこの連続性みたいなものを仄めかして終わる。何が言いたいのかわからず、消化不良感が否めない。

英語が使われてるのが新鮮。基本イタリアかフランスをメインに作品を撮ってたベルトルッチの中で初めてアメリカ人が主役やったんちゃうかな。作品の雰囲気は「ラストタンゴ〜」よりで、アート作品っぽいアプローチ。この監督は政治的なメッセージがある方が面白い気がする。「革命前夜」では主人公は自分の叔母と恋に落ちてるし、ベルトルッチそっち系の性癖あるんかな。
犬

犬の感想・評価

3.3


過剰なまでの愛情を息子に注ぐオペラ歌手の母親と不安定な思春期をおくる息子
ニューヨークとイタリアを舞台に、義理の父の死や実父との再会を通して親子の葛藤が描かれる

近親相姦

なんというドラマ

家庭環境って大事ですね

重たい内容
独特な雰囲気でした

歌もあります
Jeffrey

Jeffreyの感想・評価

3.8
‪「ルナ」‬

〜最初に一言、タルコフスキーにゴミ映画と言われたベルトルッチの意欲作だが、個人的には常識を超えた母と息子の禁断の愛を大胆に描いた母親に対して近親相姦的な空想を抱いている男性の無意識領域を見事に映像化した秀作だと思う〜

‪本作は1979年に4人の(監督を含む)脚本家が、脚本を務め、ベルナルド・ベルトルッチが監督を務めた親子の絆を描いた作品で、タルコフスキーにゴミ映画だと酷評されたのは有名な話で、長年国内でソフト化されていなかったが、今から10年ほど前ぐらいにDVD化され、購入して鑑賞して以来久々の鑑賞した。私個人はそこまで嫌いな映画ではないが、ベルトルッチの過去の作品を見ている分、比べたらそれは確かに出来栄えは違うと言える。大作「1900年」の次に監督した近親相姦言わば禁断の愛をテーマに年頃の少年と夫を亡くした母が常識を超えた快楽の物語で、140分と尺が長いが観入ってしまう…この少年の空想の抱き方や愛情表現に悩み苦しむ母とこの激情が私的には評価できた。

せっかくDVD発売するなら木曜シネマパラダイスの日本語吹き替えを収録して欲しかった。高いお金出すんだから、英語だけではなくイタリア語、吹き替えをぜひともメーカーの20世紀スタジオには入れて欲しい。ゴミ映画と言われながらもベルトルッチのスタッフは凄者ばかりだ。ヴィットリオ・ストラーロ、エンニオ・モリコーネと…。本作のインタビューで、監督はすべての男は無意識のうちに母親に対して親近相姦的な空想を描いていると思うと断言し、自己の潜在的な意識と体験をモチーフとして、このテーマに挑んだと言っていた。それにしてもカトリック王国のイタリア本国で、ここまでセンセーションを巻き起こすような禁断のラブ映画を作るのはすごいなと思う。

ー部地区で上映禁止問題にまで発展したのは言うまでもない。しかし、ポルノと違ってベルトルッチは、人間の根源的なセックスの問題に精神分析医のような明晰な角度でアプローチし、その華麗でめくるめくような映像美の世界は観客を魅了し、芸術的密度の高い秀作と言える。父権の崩壊、母親の過保護が子供に与える心理的な屈折と言うこの映画のテーマは、日本でも、今大いに社会的な関心を寄せられているポイントであり、重要な問題を含んでいるこの作品は、国内でも大反響を呼んでもおかしくないと思う。ところで、すごく印象的な主人公の息子役の少年錠、ジョー役には、舞台経験はあるが、映画ははじめてのニューヨーク州出身の15歳のマシュー・バリーが抜擢されデビューしているのだが、見事にデリケートで感性の鋭い少年の心理を好演して将来を期待されアイドルスタートしての地位を、この初主演作品で確立してたのは見事である。

対して、母親役のジル・クレイバーは、もはやアメリカ映画界のトップスターと言っていい時期にオペラ歌手である母親を演じ、圧倒的な名演技を見せている。確か「結婚しない女」でカンヌ映画祭主演女優賞に輝いていたと思う。個人的には祖母役を演じていた「第三の男」でかなりの印象残した後にアルジェントの「サスペリア」やパルムドールを受賞した「かくも長き不在」、ヴィスコンティの「夏の嵐」同じくベルトルッチの「暗殺のオペラ」などに出演したアリダ・ヴァリがとても素晴らしかった。やはり名女優だなといつ見ても思う。その他助演の顔ぶれを見ると、パゾリーニの作品だったり、ヴィスコンティの作品だったりと名優がずらりと出演している。さて、前置きはこの辺にして物語を説明していきたいと思う。


さて、物語は南欧の太陽を浴びた別荘地で、若く美しい母親カテリーナは、かわいい赤ん坊に蜜を与えていた。赤ん坊はむせて咳き込んだ。彼女は背中をさすってやった後、赤ん坊を置いてけぼりにして、若い男とツイストに踊り狂った。赤ん坊は泣き叫び、ベランダをはい回って祖母に抱き上げられた。デッキチェアの上の編みかけの毛玉の糸を赤ん坊は、どこまでも引きずって行った(この糸玉は母体につながるへその緒のシンボルでもある)。月日が流れた。赤ん坊は14歳の感性の鋭い少年上ジョーに成長していた。イタリアで勉強したカテリーナは、今プリマドンナとしてオペラ界のトップスターで、夫とともにニューヨークのブルックリン、ハイツに住んでいた。彼女が、ローマで開催される夏季のオペラ公演に出演すべく支度をしていた日、夫が自動車の中で心臓発作を起こし急死すると言う事件が起こった。

慌ただしく葬儀を済ませた彼女は、ローマ公演に娘を同行することになった。ローマでヴェルディの「イル・トロバトーレ」に出演した彼女は大好評で、夫の死後、彼女の声は艶やなさを増していた。生き生きとした母と対照的に義理の父ではあったが、その死はジョーを打ちのめし、拠り所を失った感じだった。なれぬ異国で彼は孤独だったが、ローマの学校に通いアリアンナと言う少女を知ってデートするようになった。2人はよく映画を見に行き、マリリン・モンローの「ナイヤガラ」を見ながら、観客ボックスでセックスしようとした。が、その時、彼の意識の中に月のイメージが浮かんだ。やはり母のイメージが彼の心を支配していたのだ。彼は諦めてアリアンナと劇場を出た。

ある日、彼は母の楽屋を訪ねた。カテリーナは、彼女を熱烈に愛するファンのマリナや、ルドヴィカ、エドワードなどにとり巻かれていた。ジョーは翌日が15歳の誕生日であったが、そんなことなどすっかり忘れて、とり巻きと華やかな時を過ごす母に欲求不満を感じて面白くなかった。彼女の舞台の大成功を祝うパーティーに、母としぶしぶ出席したジョーだったが、パーティは浮かぬものだった。続いて彼の誕生日パーティも、母が思い出して開催されたが、パーティに集まった仲間たちをオーバーにもてなしカテリーナは、歌ったり踊ったり大はしゃぎして人気の的になり、彼は不愉快で、アリアンナとともに会場抜け出してしまった。カテリーナは、息子を追ってパーティの開かれた豪。

邸を探し回り、物陰で2人が寄り添っている姿を見てしまった。息子の淡い恋の芽生えを、カテリーナはむしろを祝福したい気持ちで2人に近づこうとした時、彼女は予想もしていなかった恐ろしいことを、そこで見てしまった。ジョーはアリアンナから麻薬の注射を打たれていたのであった。それはあまりに大きなショックだった。母と子の間には、深い深い亀裂が生じていたことを、カテリーナは初めて知らされた。息子が急に理解できなくなった彼女は、月の裏側が見えないようなら正しさを感じ始めていた。蜜の味のような母の愛を求めながら、満たされない息子は、バーにも出入りするようになり、そこで男色家に抱きすくめられたりした。ジョーのことで悩みだすにつれ、カテリーナは、歌に対する自信を失い声が出なくなるのではないかと言う不安にさいなまれだした。

時々、彼女を訪ねてくるマリナに取りすがって泣きじゃくって不安を訴えたこともある。カテリーナは何とか息子を助けたいと焦りだしたが、彼は麻薬の禁断症状に苦しみ出すほど、この世界に深入りしていた。カテリーナはジョーが、叶えられない母の愛の代用品として麻薬を用いだしたのではないかと思うようになった。カテリーナはジョーの真意を知ろうとして、彼が麻薬を手に入れている親友であるアラブ人のムスタファ少年にも会いに行き、そこで麻薬を手に入れた。ある日、息子は自作の料理で母親と2人だけのパーティをやろうと腕をふるい、母と子は久しぶりに打ち解けた1日を過ごすことになった。しかし、ささいなことから口論となり、ジョーは麻薬の禁断症状も手伝ってカテリーナに暴力をふるい、彼女も負けてはいず激しく殴り合った。

息を切らしながらも落ち着きを取り戻したカテリーナは、息子を救う道は惜しみなく愛を与える道しかない、ムスタファから買った麻薬を彼に与えた。さらに母の胸に顔を埋めてくる息子に、彼女は優しさを込め、やがて彼女の手はジョーの下半身に触れ、局部を愛撫しマッサージしていた。カテリーナは、かつて彼女に歌を教えてくれた恩師カローをエミリアの街に尋ねて、声が出なくなるのではないかと言う恐れの心境を打ち上げた。だがカローは既に廃人となっていて、カテリーナの助けにはならなかった。その街は彼女が初めて歌を学んだ街だった。ジョーはカテリーナをつけてきたが、彼女は車で息子を連れていきイタリアを旅した。ヴェルディが50年の生涯をおくったサン・アガタ村にも立ち寄った。

途中、車がパンクしカテリーナはタイヤのスペアを取り付けたが、息子は母親を置き去りにして1人で車を出して立ち去った。当て所なく田舎道を歩くカテリーナは、通りすがりの車に乗せてもらって、ある街へ来た。モーテルの前に自分の車を見つけると、そこで止めてもらった。彼女が出会った男はコミュニストだと言った。2人はモーテルに入り世間話をしたが、そこにはジョーがいた。男と意気投合したかかに見せかけながら、カテリーナは息子の様子を伺った。やがて男と別れ、彼女は息子とともにモーテルのー室で休んだ。ベッドに横たわった彼女は、激しく息子を誘い、肉体まで与えようとした。母の股部に顔を埋めながら、ジョーは身悶え、抵抗した。ジョーは母と別れてある村の小学校で絵を教えている先生を訪ねた。

その男は母が離婚した彼の実父であると言う予感があった。教室で子供たちに絵を書かせていたジュゼッペは、ジョーに靴を脱ぐように言った。子供たちはみんな裸足だった。彼は床に月の絵をかいた。帰りにジョーは靴を履き違えたことを知り、翌日、ジュゼッペをつけて彼の家に行った。ジョーは、そこで祖母にあった。いつかカテリーナになぜ母さんたちは別れたのと聞いたとき、父さんは父さんのお母さんを愛していたのといった秘密をそこで察知した。カテリーナは、カラカラ浴場の遺跡でオペラ(仮面舞踏会)のリハーサルに夢中だった。息子は観客席で、母を見守っていた。そこへジュゼッペが現れた。カテリーナは、さすがに動揺の色が隠せなくなった。しかし、歌いながら目と目を交え、父と母の間には、穏やかな和解と新しい心の交流が生じようとしていた。

2人を再開させるように仕組んだのは、ジョーだった。ジュゼッペは、やがてジョーの側に来ると、いきなり平手打ちを食わせた。ジョーは、驚いたが、強い父親のイメージは彼が多い求めていたものだった。吹きさらしの観客席から父親は、カテリーナとジョーを見守った。そして、優しい微笑みをジュゼッペは彼に送ったのである。舞台の上からカテリーナは歌いながら、父と息子の様子を見つめていた。父と母と息子の3人は、今初めて1つの家族の絆を取り戻し、ジョーは大人への第一歩を踏み出そうとしていた…とがっつり説明するとこんな感じで、現代人のセックスの問題に大胆に挑んだ「ラストタンゴ・イン・パリ」で全世界に空前のセンセーションを起こしたイタリア界巨匠のベルトルッチが、禁断のテーマである母と子の近親相姦と言うタブーに取り組み、再び世界のマスコミを大論争に巻き込み、興行的にも各国で大ヒットを樹立している問題の映画である。


ちなみにこの作品の製作者はジョバンニ・ベルトルッチと言って、監督の従兄に当たり、「暗殺の森」などで組み、脚本は弟のジュゼッペがテプローをとともに参加して監督と執筆したものになる。もっと言うと、ベルトルッチは、ある夏の夕方で、まだ自分が2歳になっていなかった時に、母が乗っていた自転車に取り付けたバスケットの中にいて、ふと自分が母の顔を見る、昇ってくる月を見たと言うこの幼少期の原体験イメージが、この作品のモチーフであり、劇中でも、視覚化化されインサートされている。月の表面は見えても裏側は見えない。ルナ(月)は、人間の原体験への心の旅路であり、シンボリックに、ドラマの中でも度々現れ、神秘的な愛の世界を見るものを誘い込む華麗で優美な作品である。

さてここからは印象的だったシーンを話していきたいと思う。まずこの映画は冒頭からエロスに満ちている。蜂蜜を舐める全裸のかわいい白人の金髪赤ちゃんのファースト・ショットで始まり、美しい若い女性がその赤ちゃんと戯れているのだ。これが後の近親相姦する母親と息子の若き日のひと夏のバルコニーでの思い出である。オープニングのカット割は個人的には好きで、ラジカセから音楽を鳴らしながら、男と踊って、赤ちゃんが泣いているのもお構いなしに抱き合う場面は陽光の光でシルエット感が出ていて、毛糸に包まりながら祖母に抱き抱えられる可愛らしい赤ちゃんの泣き顔は愛くるしい。次のカットで真夜中になり、月の描写に、不穏で不気味な音楽とともに暗闇の母と子の姿が映し出されるのもどっかしら官能的である。

そして時間の流れはお構いなしに進み、年代などは記載されずに2人は成長している。あの父親が急死して、葬式を上げる場面で、車の中に乗っている母と息子を外から数人が覗き込むように観察している場面はすごく不思議。あれはどういう演出なんだろう…。映画館の場面で、マリリン・モンロー主演の「ナイアガラ」が映っていて、急にマリリン・モンロー映画が見たくなってしまった。にしても、男女が映画館でセックスしようとする場面の汗のかき方が何とも良かった。後に「ライフ・イズ・ビューティフル」でオスカーを受賞する役者兼監督のロベルト・ベニーニも出演しているが、若き日からでこっ八である。Bee Geesの恋のナイト・フィーヴァーが流るバーでアイスクリームを食べながら途中で踊るのだが、そこにいた男性客にいきなり抱擁されて戸惑う場面とか印象的。

この映画の面白いところは、息子が15年にわたる矛盾とミステリーを抱えている中、外国へ連れて行かれホームシックにかかり、彼が無意識のうちに家庭内の謎解き、つまり父親の事を探ろうとすることである。ラストで、彼は別れていた〇〇と〇〇を結びつけるときの感動は良かった。それまで、自分の性的アイデンティティー(自己証明)を発見し、大人になろうとしている姿が凛々しく思えた。それと、将来のオペラ歌手らしいタイプが母親の重要なパーソナリティーを表す特色も良かったし、彼女のエピソードはメロドラマで包まれており、パルマ地方(パルマ地方は監督が生まれた地域である)の美しい風景と彼女がマッチしていた。ドラマチックなソプラノ歌手である。それにしても彼女は大人の色気と、洗礼された都会的な魅力が良いのだ。

それからマカロニウェスタンやアクション映画で人気を集めたイタリアの二枚目スターのトーマス・ミリアンも出演しているのは激アツである。ここでベルトルッチに言及したいのだが、イタリアの大監督たちが次々と失われた時代に、現れた戦闘的シネアストがベルトルッチであると思う。彼はマルキストで、その作品の多くは政治的テーマを使って論争を呼び起こしたが、本作では珍しく政治問題を離れて近親相姦と言う新しい世界に挑戦していた。長々とレビューしたが、まだ見てない方はお勧めする。マザーコンプレックスが父と息子の二代にわたって二重構造に描かれている本作はなかなか見ごたえがある。ハッピーエンドかは、見る人の解釈によって委ねられる作風でもある。

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