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流れるのGOFEETのレビュー・感想・評価

流れる(1956年製作の映画)
4.5
◆いやぁ~、なんとも素晴らしい!

◆いわゆる〈女性映画の成瀬〉作品の中では、これが一番好きかも……

◆田中絹代、山田五十鈴、高峰秀子、杉村春子、中北千枝子、賀原夏子に岡田茉莉子と、昭和の名女優総出演の勢い。

◆この時、山田五十鈴39歳。な、なんという貫禄!

《成瀬巳喜男は、絢爛たる当時のスター女優たちをずらりと配し、そのほとんどが芸者とはなんの縁もないのに、まったく自然に演じさせて、昨日今日と続く花街の日常を、まさに流れるがごとき一編とした。
(中略)
 それにしても、その山田五十鈴をはじめ、お茶をひいてばかりの古株芸者に杉村春子、おきゃんな現代っ娘芸者に岡田茉莉子、いちどは芸者に出たがやめて屈折している、山田の娘役に高峰秀子、ひと癖ある料亭の大女将にはサイレント時代からの大御所、栗島すみ子、そして原作者の立場を演じる住み込みのお手伝いに田中絹代と、目眩がしそうな豪華配役である。
 ちなみに高峰は、山田と七つ違いでしかない。高峰も上手いが、山田が上手いから、花街の母と、花街を嫌悪する娘の関係が、みごとに浮き上がる。
 こんな顔ぶれで、オールスターものの大味にならない繊細な映画を作った成瀬巳喜男は、まさに名匠の面目躍如である。
(中略)
 圧巻は、同棲相手の歳下男に逃げられて荒れる杉村春子と、置屋の娘だが芸者嫌いで、いちいちイヤミを言ったりかみついたりする高峰秀子との、口げんかの場面。
 このシーンで、高峰を見るのでなくスクリーンのこちら側に視線を転じ、観客相手に感情をぶつけるかのように火を噴く、杉村春子がすごい。山田五十鈴の回想では、ここは成瀬の演出ではなく、杉村自身が作ったらしい。
 その山田だが、杉村とは対象的に全編で受けに回り、看板かけて芸を売るプライドと、男に惚れては裏切られる女の悲しみを、言葉や表情にくどく出さずに交錯させる。
 見て解釈し、説明するのは簡単だが、演じる側は、どうやってそう見せるのだろうか。山田五十鈴、名演中の名演だ。

 言い合いのはてに、花代をピンハネされたしないという口論になり、置屋を飛び出してしまう杉村。が、結局は行くあてもなく、テレくさげに戻ってくる。
 帰った杉村、迎える山田、この両者の芝居も、もちろんすばらしいが、杉村と山田が長火鉢をはさんで差し向かいになり、二人で三味線を弾くやや長いラストシーン──清元「隅田川」だ──には、ついに台詞はなく、音しかない。すばらしい場面だ。
 山田は実際に清元の名取だが、十一歳で名取になり芸者に三味線を教えていたという。その余裕のバチさばきもさることながら、まるで昨日もそうしていたかのように淡々とつけていく杉村!
 そして、置屋から外の世界へは出ていけないが、置屋という空間で自立はしたいとミシンの内職を始めた高峰が、ことさらに立てる音、それがかぶってくる。夫も子も亡くし派遣婦としてこの置屋に住み込むことになった田中絹代が、画面の外から静かに見守る気配……。》(趣味的偏屈アート雑誌風同人誌「映画『流れる』──さようなら山田五十鈴【改】」より引用)
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