むさじー

流れるのむさじーのネタバレレビュー・内容・結末

流れる(1956年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

<花街に生きる女たちの哀歓>

東京の花街にある芸者置屋つたの屋は、格式は高いが台所事情は苦しかった。芸は一流だが算盤がうまくはじけない女将、芸者の家に育ちながら芸者を嫌い生真面目に生きようとする娘、夫と子を亡くし住み込みで律儀に働く女中、と映画の軸になるのはこの三人だが、若い芸者、年増芸者、計算高いやり手女将が絡んで、花街に生きる女の喜怒哀楽、女性社会特有の息苦しさが哀感をもって描かれる。
結局、置屋に将来がないと見切った女中は別れの意味を込めて皆に饅頭を配り、母と違う道を選んだ娘は自立した女性を主張するようにミシンの音を響かせ、女将は芸者のプライドを示すように三味線の稽古をつける。それぞれが事情を抱えて心は揺れ動き、不確かな未来への三者三様の思いが交錯する。時代の流れとはいえ芸者文化が廃れていく、そこはかとない無常観が漂う。
映画ではスター女優による熾烈な演技合戦が展開する。女将のつた奴を山田五十鈴、娘勝代を高峰秀子、女中梨花を田中絹代が演じ、脇の芸者を杉村春子、岡田茉莉子らが演じているが芸達者揃いで皆ハマり役。中でも当時39歳とは思えない老け役の山田五十鈴の存在感が凄い。芸一筋に生きてきたプライド、女将としてうまく立ち回れない苦悩がにじみ出ている。その色香と悲哀は美しくも寂しげで、三味線と唄は圧巻だった。
それと、岡田茉莉子の若さと美しさが輝いていて、漠然とだが溝口健二『祇園囃子』の若尾文子を思い浮かべた。
女優の個性が遺憾なく発揮され、成瀬の静謐で洗練された演出が光る傑作。
むさじー

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