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パルプ・フィクションのohassyのレビュー・感想・評価

パルプ・フィクション(1994年製作の映画)
5.0
タランティーノ生誕祭記念上映にて。


パルプフィクションとはいったい何だったのか?

それはおそらく、新しいカルチャーの誕生だったのだろう。
恥ずかしげもなく映画好きを公言する20歳を超えたくらいの若造だった僕は、映画好きの顔をして渋谷スペイン坂に並んで上映を待っていた。
映画が楽しみというより、いわゆる大作映画とは一線を画す話題作をいち早く観ることが楽しみというか、そこに価値を見出していたことは隠しようもない。
今でいうSNS映えと同じ行為だ。

1階席だと見上げることになり、2階席だと見下ろすことになる、鑑賞環境としてはちょっと難があったシネマライズで鑑賞を終えて出てきたファッション映画小僧の僕は、強烈なカウンターパンチをもらってフラフラだった。
どこかのアニメじゃないけれど「かっこいいとはこういうことか!」と思わずにはいられなかったし、「映画とはこういうものか!」と叩き起こされた気分だった。
オレは今まで眠っていたのか?!と。

エピソードを細切れにして組み直す構成は、今となっては映画作りの選択肢の一つではあるが、本作がそうさせたと言っていいだろう。
過去映画のオマージュをとことん詰め込む遊びが、映画の楽しみのひとつとして確立してくれたのもここからだ。
ストーリーに全くもって関係がない会話を、登場人物にダラダラとさせていいんだ!と教えてくれた。
オープニングタイトルはバシッと決めろ!そしてサウンドトラックに過去の有名曲をあてると最高に盛り上がるぞ!と教えてくれたおかげで「ガーディアンズ・オブ・ザ・ギャラクシーという傑作が誕生した。

そして何より、サミュエル・L・ジャクソンという俳優を見出した功績は計り知れない。
彼が存在しないハリウッド映画など、今となっては想像できないだろう?

その後に影響を与えまくったという点でエポックな作品ではあるけれど、一方で個人的にはだからすごい映画なのだということでもなく、やっぱりあの時代にあの年齢で観たこと、あの時食らったカウンターパンチの名残があるから、本作は僕にとっていつ観ても何度観てもおもしろい映画であり続ける。
言ってしまえばそれだけの事だ。
だからその時観る環境になかった人たちに、本作をゴリ押しすることにどれだけ意味があるのか分からないけれど、映画はできるだけそのときに観ておけ、とは言えそうだ。

僕はとりわけ、ジョン・トラボルタ演じるヴィンセントというキャラクターが好きで、あっさり退場してしまった時はそれはびっくりしたし悲しかったのだけれど、卓越した構成によってまるで蘇ったかのようなラストに、本当に感動した。
あの、レジェンドと言える構成のおかげで、僕の中ではヴィンセントが今もなお生き続けているわけなので、やっぱりパルプフィクションはキャラクターと構成、そしてタランティーノ兄貴の映画愛が最高な作品なのだ。
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