Sari

これがロシヤだ/カメラを持った男のSariのレビュー・感想・評価

5.0
エイゼンシュタイン、プドフキン等と並ぶソビエト映画のパイオニアでジガ・ヴェルトフによるサイレント期アヴァンギャルド映画の傑作として知られる。

ヴェルトフの提唱した‘’映画眼‘’(キノキ)、カメラのみが捉えることのできる真実を追求した‘’映画真実‘’(キノプラウダ)による記録主義は、60年代のヌーヴェル・ヴァーグ作家に受け継がれ、ゴダールは‘’ジガ・ヴェルトフ集団‘’を名乗り『東風』などを発表した。

明確な物語は存在せず、極めて前衛的な手法をとっている。
主人公となるのは、本編の撮影も担当したミ
ハイル・カウフマン扮するところの“カメラを持った男”。1920年代後半、すなわち第一次五カ年計画推進中のソヴィエトの都市に現れた“男”が縦横無尽にカメラを担ぎまわり、都市の生活風景と民衆の姿を収めていくというのが大まかなプロットだが、実際にはモスクワ、キエフなど複数の都市の映像を巧みにモンタージュしているため、ここで描かれているのはあくまでも架空の都市の理想像と解釈されているようだ。この都市風景と並行して撮影や編集作業、上映に至るまでのプロセスが随時挿入され、1本の映画作品が観客の目に触れるまでの製作過程も織り込んだ極めて重層的な構成となっている。

本作では、スプリット・スクリーン、ストップモーション、早回し、移動撮影など当時のあらゆる技法を駆使した撮影と、超絶技巧的モンタージュでつづり、今日でも尚その鮮烈な映像の美しさは『コヤニスカッツィ』をはじめ、後年の映像作品に大きな影響を与えている。
また、フリーフォームの映画のため、過去何人ものミュージシャンをインスパイアしてきたが、本作ではマイケル・ナイマンによる2002年のニュースコアが収録されたニューマスター版の本作では、約100年近く前の映像が瑞々しく蘇っている。
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