マティス

すぎ去りし日の…のマティスのネタバレレビュー・内容・結末

すぎ去りし日の…(1970年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

人知れず相手を思いやる気持ち


 この作品を撮ったのは、ロミー・シュナイダーが30歳ちょっとぐらいで、「ボッカチオ‘70」に出演した20歳前半の小悪魔的な雰囲気から、大人の女性に変わりつつあるのが画面を通して感じられる。とても魅力的だ。

 フランス映画を観ていて感じることがある。パートナーとくっつく、別れるのに、ためらいも悪びれた様子もほとんど感じられないのだ。この作品もそうだ。「夕なぎ」もそうだった。なんでそうなんだろうと、漠然と、ずっと思っていた。でもこの作品を観て、その理由が垣間見れたような気がした。


 ピエール(ミシェル・ピコリ)はカトリーヌ(レア・マッセリ)のことが嫌いになったのではない。もっと好きなエレーヌ(ロミー・シュナイダー)が現れたから別れる。えっ、そんなのあり?と思うけど、それをごく当たり前のこととして、カトリーヌも息子もまわりの人は皆、受け入れている。


 先に言った理由の一つがこれかなと思ったのはこのシーン。カトリーヌがピエールの上着に残されていたエレーヌ宛の手紙を破り捨てたシーンだ。

 その手紙はエレーヌ宛で、彼女に別れを告げる手紙だった。書いた後にピエールは、やはりエレーヌとやり直そう、彼女と結婚しようと思い直した。でも、その手紙を捨てずにポケットの中にしまい込んでいたのだ。彼はその後事故で瀕死の重傷を負ってしまい、その手紙を自分の手でもうどうすることもできない。

 心変わりを知っているのはピエール本人だけ。エレーヌも知らなければ、カトリーヌも知らない。その手紙を読めば、カトリーヌは彼が自分のところに戻って来るつもりだったと思うし、エレーヌは結局自分は捨てられたんだと思う。

 ピエールが事故にあったことを知って、血相を変えて病院に駆けつけるエレーヌ。その姿を先に病院に来ていて病室から見つめていたカトリーヌは、看護師から渡されたその手紙を静かに破り捨てた。
 もし、カトリーヌが、「はい、あなた宛ての手紙、彼の上着のポケットに入っていたの」と言って渡していたら、エレーヌは、二重の悲しみに打ちのめされていただろう。

 この思いやり、優しさは誰にも知られることはない。
 このシーンを観て、そういう思いやり、優しさがあるから、このようにそれぞれが新しいパートナーを見つけることを許容するような社会ができるんだと感じた。皆が相手の幸せを願っている。たとえ恋敵であっても、自分が愛した男が選んだ女性に敬意を払っている。


 もう一つ思うのは、たぶん女性が自立していることもこのようなパートナー関係が結べる背景にあると思う。これが一方に依存している関係だったら、こうはすんなりいかないのではないだろうか。この作品でも、「夕なぎ」でもそのように描かれていた。


 ロミーはこの作品のことを、もっとも好きな映画の一つだと言っている。
 彼女は、小さい頃に実父が愛人を作って家を出ていった。継父は良い人だったみたいだが、彼女が若い頃から俳優をして得ていた巨額のお金を預かっていて、結局事業に失敗して預けていたお金どころか、負債の弁済までロミーがしている。
 恋人になった男とも、二度の結婚も、決して幸せな関係とは言えなかった。そんなお涙頂戴式の前置きをロミーはたぶん望んでいないが、この作品で描かれている思いやりや優しさに、彼女は惹かれたような気がする。

 この作品は、「夕なぎ」のクロード・ソーテ監督とロミー・シュナイダーが初めて組んだ作品。彼女はこの作品の撮影の後に書いた日記に、ソーテ監督と結んだ友情がこれからもずっと続いていくことを願う、と控え目に願望を綴っている。
 いつも強気だった彼女の心の内を想像すると、なぜか胸がぎゅーっと締めつけられる。
マティス

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