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死刑台のメロディのTSのレビュー・感想・評価

死刑台のメロディ(1971年製作の映画)
3.8
発掘良品第十弾。
まず、、なんちゅう邦題をつけるんや。流石に憤りを感じました。今作は世界史の教科書でも太字で出てくる
「サッコ・ヴァンゼッティ事件」
の映画化です。原題がサッコ・ヴァンゼッティなのだから、そのままで良いでしょう。その方がダイレクトに伝わる。

しかし邦題は「死刑台」という、悲しいかな、唆られそうなキーワードで宣伝してるのですね。メロディをつける意味は皆無。作中に流れるBGMをメロディとするならなおさら猛省すべきですね。

と、不満はただ一点、邦題に関してだけで、内容は僕自身かなり楽しませてもらいました。

楽しむというと語弊がありますね(°_°)勉強になったといったほうが良いですね。
まず、物語の半分以上が、この冤罪事件に関する法廷争いに関するものです。

恐らくこれを手に取り鑑賞する方は、この邦題に関係なく、「サッコ・ヴァンゼッティ事件」に興味をもった方だと見受けられます。
なので今作で頻繁にでてくる「アナーキスト」という言葉は最早説明いらずと思われますが、端的に説明すると、アナーキストとは、無政府主義者ということ。ただ、権力を掌る国家を必要としない無政府という意味であり、何もかも無秩序ということを意味するものではありません。
そのアナーキストであるイタリア系移民2人が、冤罪事件に合わされます。

実際、現在でもよくわかっていないらしいですが、冤罪である確率が高く、もしそうであれば、アメリカ史において最大の冤罪事件といわれています。
1920年代ということなので、世界恐慌に陥る手前、大衆文化が華開いた時期に起きた事件であります。

内容は、人によってはなかなかつまらないかもしれません。でも僕は、最終的には冤罪を振りかけられるのだと知っていたので、その過程を見るということで、かなり勉強になりました。

随所に出てくる差別表現。アメリカというのは多民族国家故に、差別表現を露呈させてしまうんですね。一種のトラウマ的要素もあるのでしょう。

移民、アナーキスト。
この二つの負のイメージが、平等の空間である法廷において、ヒビを加えてしまいます。
本当の正義とは何か。法廷は平等の空間なのか?といろいろ考えさせられてしまいます。

最も心を打たれたのが終盤です。
『死刑台のメロディ』ですからね。終盤は予想がつくでしょう。ここに関してはなかなかじっくりと描いています。
最近見た『10番街の殺人』とは真逆です。あれはあまりにも執行が淡々としていたので恐ろしかったですが、今作はその逆で、ゆっくりと描くことで執行までの恐ろしさを表しています。
サッコが電気椅子に座る時は、カメラはサッコからの目線において。まるで疑似体験でもさせられているようです(°_°)

そして、執行直前にサッコが残した手紙の言葉が非常に心に残りました。

「彼らが私たちの体を焼こうとしても、私たちの精神は焼くことができない。それは若い者たちに伝わるだろう。」
感動しました。

実際、アインシュタインやムッソリーニなども、この判決には抗議をしていて、大衆も大規模な抗議運動をしていたようです。

ここまでして、100パーセントの証拠もないのに執行してしまうって、、どういう精神なのでしょうかね。。見せしめということもありますが、、、
考えれば考えるほど難しい事件です。

こういう世界史の太字になっている事項一つ一つを映画化してほしいものです。膨大な量になり、膨大な時間をかけてしまいますが、そうすれば、立派な教養人にもなれそうな気がしますね。

まだまだ世間には広まっていない作品のようなので、発掘良品にていろんな人に見てもらえたら嬉しいなと感じます(*^^*)
TS

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