なぜラストのだいすけの発狂のシーンを
描かなかったのだろうか。
それまで何度もメタ的に電車の演出を入れていたのは、前フリではなかったのか。
要所要所、このように突っ込みたいところがあったが、全体的には、映画で文学をやろうという意気込みが感じられて良かった。すべて漱石流に従うのではなく、あくまでも映画としてみやすくするために、兄を俗人っぽくしたり、梅子を老いさせたり、森田風それからにアレンジしているチャレンジ精神は評価します。
しかしそのラストシーンの削除や、最重要シーンとも言える
「三千代さんの死骸を〜」のところは、もう少し工夫が欲しかった。あのように「リアル」に取り乱すのではなく、「メタ」的に取り乱せなかっただろうか。漱石は、決してあのようなリアルな感情の発露を描きたかったわけじゃないし、森田監督も、そこは同調してこの映画を撮ったはずだ。