浦切三語

コミック雑誌なんかいらない!の浦切三語のレビュー・感想・評価

4.0
恐らくこの日本において最も蛇蝎のごとく嫌われている職業上位に君臨する「芸能リポーター」なる仕事は、升田幸三風に言うなら「ゴミにたかるハエ」である。あくまでハエ止まりであり、決して自身はゴミになれない。どこまでも傍観者であり、どこまでも視聴者と芸能人を、その関係性において視覚的に仲介する「仲介人」であり続けるしかなく、決して事件の当事者にはなれないというのが芸能リポーターの下劣な「運命」だとするなら、キナメリは最後の最後にその「運命」を乗り越え、境界を渡り、傍観者から当事者へと立場を変えることができた。豊田商事社長の殺人現場に飛び込んでいったのは、正義心からでも、リポーター精神からでもない。キナメリはビートたけし演じる殺人犯の瞳の中に「時代の当事者だけが見ている景色」を見た。このシーンの少し前に、御巣鷹山の事故現場に赴いたキナメリがショックを受けるシーンがある。キナメリがショックを受けたのは事故の凄惨に対してもそうだが、どこまでも傍観者でしかない自分が捉える「限界点としての風景」をそこに見たからではないだろうか。

キナメリは最後の最後に傍観者から当事者へと変わった。沢山のカメラとマイクに囲まれ、大量のフラッシュを浴びる彼の表情は、だが自らの殻を破った者には似つかわしくないほどに空虚なものだ。傍観者だろうが当事者だろうが「テレビ」というメディアの中にすでに飛び込んでいる時点では同じであり、「ゴミ」か「ハエ」かの些細な違いしか存在しない。だからこそ、強がりにも聞こえるキナメリのラストの台詞が、妙に頭から離れないのだ。80年代の日本の都市風俗を記録したという意味でも、非常にシェケナベイベな一作です。

※ここに述べたように本作には御巣鷹山航空機事故の生々しい、本当に生々しいグロテスクな当時の事故現場映像(木に引っ掛かった丸焼けの肉塊、焼けてボロボロになった被害者の靴など)が流れるが、どうも調べたところDVDからは丸々カットされてるっぽい。
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