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花のようなエレのemilyのレビュー・感想・評価

花のようなエレ(1971年製作の映画)
3.4
1951年夏、南仏の寒村。休暇で戻ってきた17歳のファブリスは、年下の男と情事を重ねる母と、インドシナ戦争から帰還して、アルコールに溺れている兄としばしの再会を楽しむ。そんな村で言葉をしゃべれない村人達に体を弄ばれてしまってる少女エレと出会い、恋に落ちる。純粋な彼女の美しさと自然美の美しさに魅せられる。

冒頭から注がれるミルクの映像にくぎ付けになる。その滴る白にはエロスを感じられ、そこから広がる南仏の壮大な自然が、純朴なエレの心を映しているようだ。彼女の可憐な跳ねる姿が、キラキラした自然の中で瑞々しく映る。しかしその美的映像と対照的なのが村人達や母、兄なのだ。村人達は彼女の体をもてあそび、母と兄もそれぞれ抱えてる物ががある。だからこそエレとファブリスの純愛だけが美しく輝き、そうして同時に幼い二人の恋物語は儚くもろくもある。

言葉をしゃべれないエレとファブリスのシーンには必ず音楽が寄り添う。言葉を埋めるように、優しいピアノの調べが心の美しさや透明感を彩っているようだ。それぞれのエピソードを交えることで、その純朴さはさらに浮き彫りになる。言葉はなくとも見つめ合う事で、微笑みあうことで伝わる。言葉がないからこそ、その心を感じることができる。しかしファブリスの母親への愛には勝てない。そうしてエレには母親の愛情という物を知らない。失って初めて愛という物を知る。人を愛するということを知る。大人への一歩を踏み出すのだ。愛とは痛く、その痛みが幸せだってこと。ラストシーンは非常に意味深で、その結末が観客に任されてる所が良い。個人的にはハッピーエンドを描きたい。

汚されれば汚されるほど、彼女のピュアさが輝き、その純朴な少女を目前にすると、自分の汚さが浮き彫りになる。時にはそれが人を傷つける結果となる。兄の行動やファブリスがエレに対して取った暴力的行動も自分への葛藤と苛立ちが導いた結果である。親もいない、天外孤独のエレと、家族がいて安定した生活があるファブリスの母親。決してエレが不幸な少女のようには描かれてなく、むしろ汚れた心を持つ母親の悲しみの方が際立つのだ。そうしてエレを目前にし観客にも自分の中にある同じ汚れに気付かされる。自分のそれをあぶりだされ、自分と向き合う。エレには聖的な魔力があり、それが人間のえぐられたくない部分に侵入してくるのだ。汚れを知らない人間なんていない。しかしそれと向き合う事で、それを認めることで、美しさを取り戻すことができる。
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