アニマル泉

淑女と髭のアニマル泉のレビュー・感想・評価

淑女と髭(1931年製作の映画)
5.0
TIFF/NFAJクラシックス 小津安二郎監督週間
白黒サイレント。8日間で撮影された。
この時期の小津は和と洋をいかに混ぜ合わすかを考えている。冒頭は剣道大会。岡島(岡田時彦)が優勝する。面を取るまでなかなか髭づらが現れないのが面白い。街頭で伊達里子の不良たちに恐喝される広子(川崎弘子)を岡島が救う。伊達はモガの洋装、岡島は高下駄と羽織袴のバンカラだ。洋装の不良モボ2人を剣術で叩きのめす。そして友人の男爵の息子・輝雄(月田一郎)の西洋建築の大邸宅では、輝雄の妹・幾子(飯塚敏子)の誕生日パーティーが開かれる。岡島は稽古着姿で場違いな剣舞を披露して集まった幾子の女友達を蹴散らしてしまい、幾子を泣かせてしまう。岡島の就活は髭面に背広だ。面接相手の社長(岡田宗太郎)がまた見事な髭面で、ツーショットで岡島と社長が身振りがことごとく同調して気づまりになるのが可笑しい。
岡島のアパートは畳敷だが椅子と火鉢が共存してライオネル・バリモア監督「悪漢の唄」のポスターが貼ってある和洋折衷の奇妙な部屋だ。この部屋に着物姿の広子がお礼に来る。座布団が両面とも穴が空いていて新聞紙で包むのが可笑しい。「穴」は本作の重要な主題だ。就活場面で岡田が緊張のあまり指で掘り出すソファーの穴、背広で裸足なのを隠そうと股引きを引っ張り出す足、これは小津が十八番の穴が開いた靴下のバリエーションと言える、そしてクライマックスで岡島と伊達が引っ張って穴が開く丹前だ。「足」も頻出する。歩く足の移動ショット、脱ぐハイヒールのアップなどだ。岡田のアパートの場面で注目すべきは見事な視線劇だ。広子が「なぜ髭を生やすのか?」と聞くと岡島がフッと壁を見上げる、つられて広子も見上げる、リンカーンの肖像画が貼ってある。そして「リンカーンは女よけのお守りで髭を生やしていた」と説明する岡島に広子が笑いながら「ムダですわ」とドキリとなる告白をすると今度は広子がフッと外を見る、つられて岡島もフッと見る、見た目の理髪店の看板が挿入される、岡島は視線を壁に戻すと再びリンカーンの肖像画になる。この一連の視線のやり取り、視線劇が見事である。そしてこの流れだけで岡田が髭を剃ることを予感出来るのだが、不思議なのは2人が見る窓がセットには存在しないのだ。2人が同方向を見やる身振りだけで、窓越しの理髪店の看板ではなく、実景の理髪店の看板に直結してしまう。実はラストで外から窓枠ごしの岡田と広子のツーショットという、これまた後期小津にはレアなショットに繋がるのだが、とにかく部屋のセットに窓が存在しない。小津が窓から空が見えるのを極力嫌ったことは美術スタッフが証言している。セットに外の実景を混ぜる嘘を嫌ったらしい。本作の窓の不在の奇妙さも注目だ。
髭を剃った岡島が広子の家にお礼に来る。広子の母・飯田蝶子と岡島の玄関の芝居が面白い。新聞の押売りと勘違いした飯田と全くひるまない岡島の間で帽子が行き来する、そのやり取りが素晴らしいのだ。追い返そうとする、何とか上がろうとする、2人の応酬を帽子の運動で視覚化してしまう演出が見事だ。広子にはお見合い話があり、飯田と叔父さんが相談するのを聞いている広子がお猪口を口にくわえては拭うという奇妙な動作を繰り返す。この「くわえる」身振りの伏線はクライマックスで見事に回収されることになる。岡田が帰ったあと、ボーっとなった広子が飯田に叔父さんの見合い話を断って欲しいと頼む場面は、2人の位置が注目だ。広子は玄関側の襖にもたれかかり、飯田は小机そばに座り、2人の間には距離がある。ここで襖にもたれる広子からポン引きして、手前の飯田ごし広子のツーショットに鮮やかに繋ぐ手法が2回繰り返される。そして広子が襖から距離を詰めてにじり寄り、見合いを断って欲しいと懇願する。この鮮やかなポン引きと距離の芝居は小津がもはや一流の監督になっていることを如実に示している。
一方で輝雄の妹・幾子も見合い中で、実はあれだけ嫌っていた幾子が岡島にゾッコンになっているのが可笑しいが、この場面では見合い相手(南條康雄)が幾子に迫る直接行動が描かれる。これも小津作品では大変珍しい描写だ。
ホテルボーイとなった岡島は洋装の二枚目だ。髭面で羽織袴姿のバンカラだった岡島とは別人のようだ。ホテルでひと仕事をした伊達は岡島のことを気づかずに誘う。この時、夜7時にデートしようというのを柱時計の針をグルグル回して示す。岡島の就活の場面で受験生たちがみんな腕時計の針を合わせていたが「時計」の主題も一考の価値がありそうだ。待ち合わせに岡島は再び髭面で現れて伊達を怖がらせる。岡島はコートにソフト帽子で髭面だ。かつての和と今の洋が完全にちゃんぽんになる奇怪さだ。2人が乗る夜の車の場面がまた素晴らしい。夜景の移動撮影、車内の2人に夜景の灯りが走る、美しいナイトシーンだ。
そして岡島のアパートの岡島と伊達の場面になる。この場面は実に見事なラブシーンが展開される。最初は岡島に説教されて伊達は反発して煙草を吸う。「君には家族、兄弟、恋人はいないのか」と言われた伊達の見た目に理髪店の看板が挿入される、見ている伊達、伊達の煙草の灰が落ちる、「あたいは前科者なんだ」伊達がハイヒールを脱ぐ、岡島は髭を取る、「そんな事でヤケをおこしたのか」「あたしだって時々人間らしい気持ちになる。だけどあんたはあたいの気持ちなんか何とも思ってないんだろう?」「恋人みたいなグチは困る」ムッとした岡島が立ち上がって着替え出す、見ていた伊達がやおら立ち上がり、岡島の背中に並んでコートを脱ぐ、このいきなり並んで脱ぎだす大胆さ!そして伊達が岡島の肩に丹前をかける、ビックリして振り向く岡島、見上げる伊達、初めて2人の視線が合う、しかし「あんまり心安くするな」と岡島が拒絶する、「でもあんたに惚れちゃった」再びギョッとして振り向く岡島、2人が丹前を引っ張って穴が開いてしまう。そして丹前の穴を裁縫するくだりになる。岡島が縫う、それを取り上げて伊達が針に頭の油をつけて縫うが針で指を刺して上手くない、岡島が再び丹前を取り上げて真似るが頭や指に針を刺しまくる、見かねた伊達がまた丹前を取り上げる、すぐ岡島が取り返して立ち上がり、裁縫を諦めて、洗濯バサミを口にくわえて、丹前の穴をとりあえず洗濯バサミで閉じる。不意に口にくわえる身振りが際立つ。その背中に再び伊達が並んで背中から「あんたが面倒を見てくれるなら、あたいはまともになる」と告白する、伊達が岡島の肩に触る、そこへ絶妙のタイミングで輝雄、幾子、母(吉川満子)が入ってくる。素晴らしいラブシーンだ。この場面は岡島と広子のような視線劇ではない。煙草の灰が落ちる、ハイヒールを脱ぐ、髭を外す、と見事に2人の身振りが呼応したり、並んで同時に服を脱ぐ、ここぞの瞬間で振り向かせて視線を合わす、裁縫場面での丹前の活き活きとした運動など、伊達の告白場面を次々と隙がない活劇に仕上げている。映画の至福である。
翌朝、何も知らない広子がやって来る。往来を歩いてくる広子、岡島の「矢来アパートメント」の外観が挿入される。後期の小津は建物の外観を映さない。室内の廊下から場面を始めるのが常道であり、この場面もレアだ。そして3人が鉢合わせになるのだが、着物の広子、ドレスの伊達、それで貞操を守ったのがわかる岡島の剣道着姿、部屋のインテリアの奇妙さも相まって和洋が融合した唖然となる世界になる。寝ている岡島の首に巻かれた風呂敷の柄と広子の着物の柄がマッチしているのが小津らしいセンスだ。そして丹前に気づいた広子が今度は見事に裁縫するのだが、ここで何と広子が突然洗濯バサミを口にくわえるのである。お見合い話を聞きながら広子がお猪口を口にくわえたあの不思議な身振りが、ここで唐突にエロスとして見事に回収されるのだ。感動する。起きた岡島が広子の背中に問いかける「あの女がいても帰っちまわなかったんですね」広子は満を持して振り返り、満面の笑みで「わたし確信していますから」完璧である。このあと改心した伊達が去っていく。今まで不在だった窓が外から初めて映し出される。窓越しに見送る岡島と広子の外からのショット、見た目で大きく手を振る伊達の俯瞰ショットが切り返される。この高低差の切り返しと俯瞰ショットも小津作品では大変珍しい。伊達が大きく手を振って去る俯瞰ショットと窓越しの岡島と広子のツーショットの切り返しはとても爽やかな瑞々しいラストシーンになっている。
ローアングルは本作ではまだ徹底されていない。小津は天井の電灯やシャンデリアを画面に入れようとしている。廊下は違和感はないが、室内のロングショットは引きすぎている。岡島の部屋はもっとタイトに撮らないと、セットそのものが露呈するありえないショットになってしまっている。
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