レオピン

祈るひとのレオピンのレビュー・感想・評価

祈るひと(1959年製作の映画)
3.8
自分を不幸にするような結婚はしてはいけない

逃避からの選択はダメよ。なにかへのアピールのような 見栄やプライド 或いはやけっぱちからのアテツケ婚は絶対ダメ 

祈るひとというより「思い出すひと」というぐらい回想シーンが多い。土曜の学校帰り、ちょっと寄ってく?って部屋にクラスメイトを上げてオルゴール聞かせながら延々回想に入るような奴。セーラー服の高校生から社会人まで回想は続きます。

アキ子は中々に内向的な子。そうならざるをえない事情がどうやら家庭の中にあったようだ。
なぜか子供の頃から不思議と冷たかった大学教授の父。両親の間の愛情を見ることもなく育った。母は庫木という男と隠れて親しくしていた。そして今、目の前に現れた見合い相手の横柄な男。

幼少時に疎開先で過ごした千葉で13年ぶりに会った婦長さんからの告白。自死をした院長だった叔父からの伝言 出生の秘密 百舌鳥と郭公 クライマックスは母との対決 

と回想続きでぼんやりしてしまうが、やはり母親との葛藤が軸なのかな。ほんの少しでいいから大人になって私の気持ちを分かってくれればいいと言われ、笑顔でうなづいて出ていく娘だった。

母は月丘夢路
見合い相手に小高雄二
庫木に金子信雄

原作を知らないので「祈るひと」というタイトルがつかみかねたが、「祈り」には「意 宣(いのり)」という意味があるというような事をどこかで読んだ。意思を宣言すること。よく神社でお願い事をするのではなく感謝しなさいと言われるようなこと。

アキ子は千葉で、漁民たちが仲間の無事を祈って皆団結して喜びを分かち合う姿に心打たれた。そしていよいよ腹が決まる 自分の力を試すとき
そこから彼女は一直線に東京に戻って母と向かい合う。「この家を出ます」
そう捉えれば終わりの独白に至るまでの道のりも、彼女の自分なりの幸福をつかみとるぞといういわゆるアファメーションともとれる。

うーん けどちょっと自己啓発っぽいなぁ なんだろう
どうもあの高校の時に招かれた集まり 内藤武敏がやっていた集いがなんか怪しい
おいらはアレは宗教サークルだと睨んでいるw

この時代、この作品にも出てくるようにやたらとグループ活動とか歌声喫茶とか、若者たちは群れる方向へ傾いていたが、今も昔もそういう所にはろくでもない勧誘・オルグ。こういう輩がいないわけがない。

あの級友たちは怪しいぞ。気をつけるんだぞ いづみちゃん
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