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剣鬼のkoyamaxのレビュー・感想・評価

剣鬼(1965年製作の映画)
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市川雷蔵と三隅研次監督による「剣」三部作三作目。
三隅監督作品は、作家性が強いって言う訳ではないと思うんですけどね。。
むしろ大映の職業監督のイメージが強いのですが、
時折、プログラムピクチャーの範疇を超えたこだわりが垣間見える瞬間があります。
特に全部観ている訳ではありませんが、そういうところがいつも楽しみだったりします。(子連れ狼で、新しい何かが開花した気がしますが^^)

今回のこだわりは、剣ですね。
剣三部作と言われているくらいなので、当たり前ですが。。

ここではチャンバラ殺陣のこだわりではなく、、

剣そのもの。
剣の持つ妖しい輝き。人を殺める狂気の光。

描き方にも徹底した太刀アップの連続カットが、、やたら長くてすごい笑
フェチシズムというか完全にリビドーの対象になっているかのような、凄いこだわりようだというのが一目瞭然です^^、


モノとしての美しさ、格好よさというか、有機的なエロスを感じましたね^^
本来であれば多分延々刀だけを映していたいのではないかと思います。

ということで、数奇な運命により、犬の子と差別され蔑まれても尚、花を愛し、けなげに生きる心優しき男。
その男と、剣との運命的な出会いの瞬間を描いています。

剣を持った男の瞳の中に映るのは、宿命を背負う哀しみ、孤独を叫ぶ自分でもあり、そして人を斬る事に喜びを見いだす本性であり、新しい自分の姿なんですよね。

美しい心の中に宿る本性の澱を描くような心象風景は、咲き乱れる花畑の中を黒い刺客が入り込んでくる景色へとつながってゆき、叙情的な美しさと相対する剣に宿る狂気が一枚の画として集約されていて、秀逸でした。

プログラムピクチャに込められた監督自身のこだわりとか、
内に秘めた思いというものがこの情景に垣間みれるというのは穿りすぎなんでしょうかね。

全体的に画面が明るいし、ファンタジックな感じもありますが、かえって誰とも分かち合えない深い心の闇と哀しみが鮮明に浮かび上がる感じでした。
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