特集 パンチの効いた子ども達 6
現在では倫理的に絶対再現不能なものが見られるという映像体験は単純に刺激的。
しかし概ねが記録映像のような駄々らなカメラが捉えた、異常な設定の数々をただただ即物的に撮っただけという、カメラに技術など求めず、ワンシチュエーション・ワンアイディアを作っておいて、ハイ、撮って、という、良くも悪くも演劇的な手法の延長にある映画作りは、今日映画として鑑賞するにはどうか。まあだからこその実験映像か。
ウォーホル的な発想の煌めきと開き直りにも似た緩さ。時にケネス・アンガーっぽいザラっとしたカオス。
その辺に雨晒しで落ちていた正体・所在一切不明の謎のビデオを、皆で集まってこっそり観るようなこのワクワク感は、所謂アングラという物がもたらす最高の悦びである。
しかし、そのビデオにこんな映像が収められていたら、ある意味ドン引きであろう。
いずれは大人となる子ども達が、大人を虐げ支配する仮想社会。
子どもであることは正義であり、大人であることは悪である。
大人の社会風俗も大人が産み出す悪であるからして、其れはすべからく弾圧の対象である。
しかし、大人の女の成熟した肉体はエロいから大好き。
いつの世も支配者層は勝手である。
そもそも子どもなんて勝手な生き物であって、お菓子があればあるだけ食べたいし、起きているあいだ中遊べるなら遊びたいし、勿論エロい事にも興味津々、男の子なら誰だってオッパイが目の前にあれば嬉々としてペシペシ思うままに触ってみたいという本能はデフォルトで備えているはず(?)だし。
本来何も産み出さずに消費する事だけに執心する生き物、それが子どもである。
そんな子ども達が支配する世界。
繰り返す。
いつの世も、支配者層は勝手である。
トマトケチャップ皇帝という言葉は、凄く好き。