ninjiro

ジョーカーのninjiroのレビュー・感想・評価

ジョーカー(2019年製作の映画)
4.0
笑われることを、笑わせることで上塗りすることと、悪を正義で上塗りすることとは、何処か似ている。
人に笑われることを微塵も気に留めない人は少ないのではないだろうか。思い返せば少なくとも私は、誰にせよ人に笑われることをずっと恐れてきたような気がする。誰かに笑われることを忌避する余り、人を笑わせることへの憧憬に走ったこともあった。人を笑わせるということは、その人をある一瞬何の罪もなく自分の意のままにすることに等しいからだ。本来思うに任せないはずのものを思うがままに操ることが出来る甘美、そこに誰かを笑顔にするという言葉面の示すような美しい奉仕の精神以外に一片の混じり気など存在しないと、人は言い切れるものだろうか。
人が笑うときのエネルギー、堪えきれない笑い、歓喜の笑いとは違う、その笑いの裏には何があるのだろうか。人は人の滑稽さに笑い、タブーに笑う。しかし時にそのタブーが少しでもボーダーを超えて行き過ぎた際には人は眉をひそめて糾弾へと走る。送り出す側からはお行儀の良い笑いが重宝されている一方で、そんなつまらないものは見たくないと無責任に嘲る一方。笑いとは決して見た目ほど大らかなものではない、固く張られたロープの上をバランスを取ってよろめき歩くようなものだ。ロープそのものが落ちる事は決してない、そこからたまたま落ちた奴が間抜けだっただけだって、どうぞまた笑えばいいじゃないか。
夕闇の蝙蝠に誘われて、またぞろ夜はやってくる。憂鬱な夜、最低な昼、喘いでは普段見下げることもない、いつの日か仰ぎ見た景色を忘れたついでに、コインの裏表だって忘れてしまう。恐ろしい身体の激痛は高速列車がすれ違うようにあっという間に忘れてしまうだろう。だが忘れられない小さな痛みは忘られずどんどんと小さく溜め込まれ、そっと踊らなければ溢してしまう。鏡の中の瞳、見詰め過ぎたら吸い込まれてしまう。誰もがその水面に鼻先でも付けたら気付いてしまう。春の歌は喧しく、ややこしい神様なんてのがこの街に居なくて良かったと今なら笑えるよ。理屈はどうあれ俺はもう笑うことを無理に止めたりはしない。誰の眼からも明らかな形を折り曲げたりしない。誰に伝えもしない、俺はただこの何でもなく狂った場所に存在したというだけだ。堰を切った哄笑は乱反射を繰り返して、脳裡にうたを呼び起こす、誰もが一日だけならヒーローになれるんだってさ、配られたカードに文句を垂れる前に引いてみな。芒の原に火を掛けたなら、俺はもう逃げも隠れもしない。誰かが何かを誰かにはっきりしろと騒いで、白か黒かに拘り続けてる。もしそうなったら本当にそれで満足か?もう火はとっくに放たれて全てを呑み込み走っている。お行儀の良いジョークにまぶして誤魔化して、誰もがもう見たような気になって正面から見ようとしないだけだ。これが悪だとはっきりと言えるのなら構わない、世界よこの心を、黒く塗り潰せ。
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