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コントラクト・キラーのmochiのレビュー・感想・評価

コントラクト・キラー(1990年製作の映画)
4.2
これまたいい映画ですなぁ。ただ何でイギリスなんだろ。特にこういう雰囲気ならイギリスじゃなくても良い気がしたが。カウリスマキ作品の中ではかなり観やすい方の作品だと思う。展開もかなりスピーディだし。ただその分登場人物たちの精神性が戯画化されている感じはあって、いつものカウリスマキ作品のような深みや細やかさは少ないかもね。自殺しようとするのも早すぎるし、すぐ両思いになるし。それでもセリフはかなり洗練されている感じがする。ホテルの受付の言葉や「労働者に故郷はない」という有名なセリフとか特にいいよね。急に労働者のリアリティを突きつけるセリフが挟まるのがカウリスマキのセリフの特徴って言われているらしいけど、この作品は特にこう言ってセリフが多い。あと、やっぱカットのセンスもいいわ。体の一部や道具の一部だけ映すシーンとか多くて、疎外感や寂しさが表現されたり、想像を膨らませる期待も呼び起こしてると思う。新聞紙で殺し屋の気配を感じさせるとことか天才的だよな。
依頼者が自分自身をターゲットにしているので、依頼者は殺しを望まなくなる。依頼された側も金を受け取ってるし、受け取ったとしても自分が死ぬことを知っているので、殺しをするメリットはない。ということで、誰も殺しを望んでいないのに殺しを試み、それから逃げる、という構図になっているのは何とも皮肉で、これがある種の社会の縮図を描いているのだと思う。そして死なないように説得していた友達は結局明るい未来を手にできず、逆に死のうとしていた主人公は生きながらえる。これもまた皮肉ですな。
最後なぜあのような選択を殺し屋がしたのかは考察の余地があると思う。少なくとも途中で殺しを放棄しなかった時点で、最後のシーンまでは殺そうとしていたはず。なので、最後の会話で状況が変わったと考えるべきなのだと思う。やはり先述した皮肉な社会の縮図の中で、ある種の義務的行為を行うこと(仕事や金銭の授受による責任の発生による行為)が負け犬の象徴であり、そこから逃れる選択を最後にした、と考えるのが良いかもしれない。つまり自己を縛る形式からの離脱と。そして殺し屋の勝ちだと思っている主人公にある種の重荷を背負わせたと。ただこの解釈は最後の殺し屋のセリフと合わないかもしれない。まあ合理的な感情に従ってあの行為を選択した、と思う必要はないので、そもそも考察するものでもないのかもしれないけど。
ジョー・ストラマーがマジでかっこいいのと主人公が良い。あと、何より殺し屋がとてもよくて、ストーリーの構成と演技の両方により、むしろ殺し屋の方に同情するような映画になっているのは面白い。
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