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空軍/エア・フォースのニューランドのレビュー・感想・評価

空軍/エア・フォース(1943年製作の映画)
4.8
このfilmarksでの自己紹介で、フェイバリット・ムービー10本を選ぶ欄があって、久しくやってなかった試みで、誰でもそうだろうが候補は軽くその5倍、また当然イン作品が何万本?というリストになく、それを入れられないとアンサンブルが変わってくる事等で、迷った。同時に、10代の頃・30代の頃似たのを選んだ事があって、今回はオミットした作品(50本の候補には入ってても)の事も思いだした。『二十四時間の~』『叫びと~』『揺れる大地』『M』『空軍』『木靴の樹』『濡れた唇』といった作品だ。
『空軍』は、30余年前輸入物のβ1/2インチビデオで初めて見せてもらって、永く頭にあったメカスの文章を上回る美しさに完全に魅了された。やがて字幕入りで内容が分かってくると、米軍の「日本(軍)の裏切り(行為)への正義の、平和・自由を実現する戦い」はちょっと困ったが、一方の悪の権化F・ルーズベルト(更に黒幕チャーチル)らの政治・情報操作に騙されたも、彼らなりの自己実現を勝手気儘に独自理想的に求めor発見していった若者等の話しととればいい気もする。
メカスが引き合いに出した馬鹿げた『~ネフスキー』エイゼンシュテインをむしろ呑み込むくらいの何も排斥することなく、孤高の美・フォルムを実現した作品である。一流の脚本家のリアルで次々冒険譚・軽く精神鍛練的シナリオ、最高のローキー撮影監督の縞影や薄暗さの包むリアリティと気品・正確さ、欠けたり離脱しかけるも妙に補充・鍛えられ復元してく役柄・役者たちのチームのアンサンブル、ドキュメンタリズムとミニチュアワークと精巧セット・プロジェクションの融合の美・バランス、客観的でせり出さずも心と形の成す事象の在り方を完全に逐次押さえ続けたデクパージュ・カドラージュ、そこにはおそろしいまでもしかし視覚で明白には押さえきれぬ(成瀬『噂の娘』だけが成し遂げたような)冴え~ポイントで僅かに寄ってく・気づかれず3段サイズ近に・ひとりの役者に息つかず縦横フィット移動現実力・等々~も、このようにひと色でない要素をひと色以上に美しくひと筆で描きあげた強く純粋な作品はない。内から静かも愉しいまでの活力も無理なく湧いてくるを感じる。多くの人物が志し半ばで別の道を選ばざるを得なかった挫折感を抱えた侭、その苦渋の中により広い現実の手応え・歓びを見出だしてゆく、その流れの併さりと克己が美と暖と強に静かに確かに転じてもゆく。
ホークスのタッチはコンベンショナル・プロフェッショナリズムの極致で形が表にあらわれないように見えて、アマチュアリズムの何も恐れない無心な冒険の試み・実践に満ちている、カメラの普通やらない位置やアングル・入りすぎぬ凝視め等。それは先に言った気づかれず際立った手法が、とくに操縦士に成りたくて理不尽?に放校、銃手に・の屈折、また過失で仲間を死なせた罪の意識にも悩む、ひとり近い除隊に心向いてる投げやりキャラの、戦争の意味・正義への目覚め、各々のポジションへの徹しが最良の成果を生むチーム・仲間意識一体感の強まり、プロフェッショナリズムの自覚、の関連で特徴的に使われてる事にも通ず。特に他にいない代理操縦士としてひとり残った上司と機を救う役を質素に自然に当たり前の様に果たすシーンは感動的だ(意識が消えた時、意識・畏れもしてた全てが実現されている)。その救われたも、破損大で敵に渡す前に焼却の決まった爆撃機メアリー・アン号の考えられぬ人力・工夫結集の短時間再生・敵襲撃直前離陸のようす、それに伴い亡くなった機長が埋め引き寄せるように、追撃機操縦士・犬を預けた海兵隊員のいつしか参入がチームをより豊かにしてく。日本艦隊発見・襲撃シーンは、日本兵転落アップ・動き消えにエイゼンシュテイン以上のカット力あり、全体に粗くも大胆な力・断片多彩方向に充ち充ちている。
これも操縦士になれなかった、父が第一次大戦の英雄操縦士の、機の方向を地図とにらめっこで微細に最大成果に向けてく航空士の描写も着実でオーバーさを除き、真に頼もしい。B17編隊小隊隊長=機長=操縦士・副操縦士・爆撃手・銃手・航空士・整備士・通信士らの一体を作らざるを得ないチームワークの埋まり・強まり方、SF→ハワイ島・マウイ島→給油の小島→フィリピン→マニラへの戦局危機で任務拡大・即発着・不眠続行の流れの止まらぬむしろ内心快感性、瞬間の選択・平面と立体・移動と速度・心の内と外の形・強まる個と絆と暖かい手応えが流れ続け・自然無限に高まり我が宝物となり得て、初終の憎むべき施政者側の字幕なければ、文句なくフェイバリット・ムービー10本の一本。不自然・人間以下的な日本兵描写も、戦力・工作員働きを過大に評価・戦意を煽る面からと、公平な闘い・戦禍の力関係のバランスは現実的に捉えてる目の確かさはしっかりあると思う。インドの次に日本を舞台にツルゲーネフ『初恋』を予定していたルノワールらに対し、ドイツ系米人のホークスは本音で日本の事をどういう風に見ていたのだろうか。
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