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the Future ザ・フューチャーの海のレビュー・感想・評価

the Future ザ・フューチャー(2011年製作の映画)
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この感覚は私にとって、苦しみと接するほどに新鮮なものではないし、だからといって笑いに代わるほどに操れているものでもなかった。24年で、嫌というほど経験した強い苦しみや痛みはその100分の1も昇華されることはなかったし、惰性で過ごしていけるほど楽な人生でもなかったから、ただ生きていくしかなかった日々もかつてあった。猫を迎えに行けなかったこの2人のことを、私は迎えに行けなかったのではなく、迎えに行かなかったんでしょ、と思って、けして責めるわけじゃなくて、ただ、そうだったんだ、と思った。私が猫を連れて帰ったのは、秋の終わり頃だった。もう冬になりかけていた。連れて帰ると決めるまでにかかった時間は数ヶ月じゃなく数年だった。初めてその猫をペットショップの外から見たとき彼はまだ子猫で、こんなに可愛いのだから欠点のひとつもないのだから、そう遠くないうちに誰かお金もあって大きい家もある人が連れて帰るだろう、幸せになるんだよと思ってその小さな寝顔を見ていた。やがて手脚が伸び被毛も立派になり顔立ちもはっきりした彼は、そうやって成長していくにつれ値札を書き換えられ、窓際から室内のケージへと移動された。あのデパートに用があるたびにペットショップを覗いてはまだあの子はいるだろうかと確かめた。誰の呼び掛けにも答えないひどく無愛想な猫だったけど私には彼のそういうところがすばらしかった。値下げの札がかけられて数ヶ月後に「連れて帰りたいですこの子を」と店員に声を掛けたとき、その猫はもう売り物じゃないから売れないと言われた瞬間のあの絶望は今もはっきりと思い出せる。連れて帰りたいと思うまでに数年がかかった。命を買い取るということは本当に勇気のいることだった。その命を育てなくてはいけない。愛さなくてはいけない。守らなくてはいけない。大切にしなくてはいけない。自分のことなんて後回しにしなければいけない。長い長い時間を手放す強い覚悟が必要だった。別の生きものと暮らしていくことはそれが人であっても猫であっても犬であっても鳥であっても全部同じくらい自分にとっては大変で重たくて生活も心も何もかもを差し出す覚悟がないと望んではいけないことだった。衝動で出来るほど簡単なことじゃなかった。私が、ただ本当に思うのは、そういう覚悟を、駄目にしてしまったらもう終わりだ。何にも無いのと同じだ。迎えに行かなかったらもう終わりだ、自分の心の一番冷たい場所がそう告げるのを聞いた。自分が、どれくらい凄くなれるかとか、世界や人のために何ができるかとか、今までこの世で幸せだった人たちみたいに幸せになれるかとか、もうどうだっていいと思うようになった。どんなに可能性と耀きに満ちているように見える瞬間も本当は苦悩と苦痛で出来てる、そうでなきゃ茶番だ。生きていくしかなかったときが、かつて私の人生にはあったしたぶんこれからもそれが続いていく。それを誰のせいにしようとも思わない、私は自分の覚悟を売り続けて自分のいのちのその活動を買い続けてきた。やっていくしかない。死ねない、人生をかけてしないといけないことがある、やめられない、絶対に失ってはいけないものがある。それが何なのかは分からない。分からないけど確かにそれが私を突き動かす。私の真ん中で息をしてるあなたに手をのばしてかたちをさぐる。生きているうちはずっと始まりだとあなたが言うのなら、きっとそうだから
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