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夏の終りのmochiのレビュー・感想・評価

夏の終り(2012年製作の映画)
3.1
深いんだか深くないんだかよくわからない作品。極めて文学的な表現に終始しているので、そこは好みが分かれるところ(ちなみに私は嫌いではないです)。3人の演技もとてもよかった。ただ面白いかと言われるとそこまででもない。正直ストーリーの把握すら危ういところがあったし、ジムオールクせっかく使ってるのに、音楽があるシーンが少なくてもったいない気がする(それでも音楽ありのシーンの音楽はどれもよかった。さすが)。

結局一時の衝動というのは愛ではない、と我々は考える。だからある程度の時間を共有することを求める(一般的に用いられる「愛を確認する」という表現はまさにこのことを象徴している)。でも結局一緒に暮らして長い時間を共有すると、慣れが生じてきて、互いに変化を嫌って一緒にいるだけ、ということになる。そしてお互いがこれこそが愛だ、と無意識に思ってしまい、そのままの生活を惰性で保とうとするかもしれない(知子の「だって愛しているんだもの」という発言はこのことを象徴しているのだと思う)。だが、そこに大きな変化をもたらす存在が現れるかもしれない。この役割が涼太である。涼太のことを満島ひかりは愛していない。知子は捌け口として涼太を頼っているだけ。しかしながら、彼女に認識の変化をもたらしたこともまた事実である。おそらくのこの映画は、三角関係ものというよりも、知子の成長物語として捉えた方がいいと思う。「夏の終り」とは、春(青春)から夏への転換に続く、人生の第二の転換期を表しているのだろう。

タバコを吸うシーンが多かったのは、タバコと愛が似ているからだと思う。どちらも特別なものだったはずなのに、習慣化されてしまい、気づいたら吸わない(愛さない)自由を失っている、という点で両者は共通している。
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