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さよなら、また明日のCHEBUNBUNのレビュー・感想・評価

さよなら、また明日(1960年製作の映画)
4.5
【チャラ男ポランスキーに愛を奪われた童貞男】
運河を眺めるキザな男。彼に女性が声をかける。

「道を教えてくれませんか」

スカした態度で振り返る彼は、その美しさに笑みが溢れる。彼女に犬の面倒を頼まれ、満更でもない顔を魅せる彼。彼女が車に乗るまで、ウキウキした面持ちでついてくる彼が童貞であることはあからさまだ。そんな彼はデートで彼女とテニスをすることとなるのだが、運動音痴な彼はポンコツプレイの醜態を魅せてしまう。彼女はフランス人故、「貴方、フランス語できるならフランス語で会話しましょうよ」と言われるのだが、片言のフランス語しか話せない彼はそれは避けたいなと思ってしまう。

そんな二人の前に、チャラ男二人が現れる。その一人は、あのロマン・ポランスキー。「チャチャチャ踊ろうやないか!」とまくしたてるようなフランス語で彼女を口説き始めるのだ。完全に蚊帳の外に追い出されてしまった主人公は金とぬいぐるみを置いて去ってしまう。だが、彼には未練がある。街中で彼女を見つけるとまた追跡する。ダンスフロアに行くらしいと知った彼は、知り合いの女性を誘ってダンスフロアに行くのだが、完全に頭は意中の女性なので、「物理学は好きかい?」とどうでも良い話をしたり、昔付き合った女の話を延々とし、彼女をゲンナリさせてしまうのだ。

そうです。本作はジャック・ロジエやギヨーム・ブラック作品のようにひたすらダサく痛々しい青年の轍を追う映画なのだ。

一々行動がポンコツで、なのにそのポンコツさを認めようとせず、スカした顔で意中の女性を追い回す様は、かつての私の恋を思い出し画面を直視することができません。ありふれた恋愛話でありながら甘酸っぱさとしょっぱさの塩梅が段違いとなっている。

そして、本作が名作だと言える所以は、撮影が全編カッコいいところにある。運河での邂逅場面の清々しさを始め、デート中にうっかり神聖な場所に入ってしまい、敬虔な婆さんたちに白い目で見られてしまう場面。そして何よりも、ハンドパフォーマンスのコミカルさはグイグイと引き込まれてしまうもの。

「さよなら、また明日」

と言って、その《明日》がやってこない切なさを噛みしめる様に胸が締め付けられました。
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