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ホドロフスキーのDUNEのStroszekのネタバレレビュー・内容・結末

ホドロフスキーのDUNE(2013年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

『DUNE』原作が預言書として書かれたように、ホドロフスキーは預言書としての映画を製作しようとしていた。「化け物には化け物をぶつけんだよ!」(©️『貞子vs伽耶子』)という感じだ。実現していたら映画史に残る傑作になっていただろうという"What if…"系のドキュメンタリー。

ホドロフスキーが『DUNE』映画化の前に原作を読んでいなかったのに驚いた。プロデューサーのミシェル・セドゥ(レア・セドゥの大叔父)に提案されて初めて読んだらしい。

恐ろしいほど分厚い絵コンテ集が、彼の本気を感じさせる。絵コンテを繋げたショットだけで、魅惑的な作品になったであろうことが分かる。

『2001年宇宙の旅』で特殊効果を担ったダグラス・トランブル。あのクリエイティブ・コントロールの鬼であるキューブリックがかなり自由にさせていたということは、ほかの監督は彼に口出しなんかできなかっただろう。

メビウス、ダン・オバノン(トランブルと決裂した後に入った映画館で『ダーク・スター』(ジョン・カーペンター監督)が上映されており、目をつけられた)と続々才人が集結していく。「これで"戦士"が二人になった」というのは、『七人の侍』を思い起こさせる。

初対面で新聞紙に包んだ大量のマリファナをオバノンに贈ったホドロフスキー。麻薬メランジが抗争の的となる原作の展開にかけたのだろうか。

レト侯爵役のデイヴィッド・キャラダインがホドロフスキーがホテルの部屋に置いていたひと瓶分のビタミンEを一気飲みしたというのも薬に関するエピソードだ。

アトレイデス家の音楽を任せようと思っていたピンクフロイドがハンバーガーを食べているのを見て、ホドロフスキーが「君たちに任せようと思ってたのは、人類の歴史にとって最重要な映画だ。ビッグマックなんか食べやがって」と言ってキレた話では腹がよじれた。

『エル・トポ』に7歳で出演した自らの息子ブロンティスをポールにキャスティングし、2年間ジャン・ピエール・ヴィニョーの訓練を受けさせている。人生をかけているし、息子の人生は犠牲にしている。

ホドロフスキーは息子の精神を解放させたかったと言うが、薬物でも使わせていたのだろうか。「なぜ息子を犠牲にしたのかは分からないが、あのときの自分はあの映画を作るためなら、自分の腕をも切っただろう」と述べている。

「人々の意識を変える映画を作ることは、神聖な使命で、自分を犠牲にすることを必要とする」。それほど力を入れて完璧に準備してきた企画がなぜ頓挫したのか?

メビウス(バンド・デシネ作家)、ダン・オバノン(特殊効果)、クリス・フォス(SF小説の表紙画家)と、才能ある仲間をつぎつぎと引き入れていくホドロフスキー。

「砂虫からの脱出」の絵コンテでは巨大な砂虫と昆虫のようなヘリコプターを見て『ナウシカ』を思い出したが、宮崎駿は『DUNE』を読んでいたのだろうか。

銀河帝国の皇帝をダリに演じさせようとしていたのには驚いた。ダリに「君は砂の中で時計を見つけたことはあるか?」と聞かれたエピソードはやばい。美術史的にも貴重なエピソードだ。

ダリにH.R.ギーガーの画集を見せられ、悪役ハルコンネンのイメージ(「ゴシック風の惑星と人物たち」)にピッタリだと思うのも引き寄せの法則が働きまくっている感じですごい(ダリが「彼には才能がある」と、70年代にギーガーをすでに認めていたのもびっくりだが)。ホドロフスキー版『DUNE』に必要な才能が点と線がつながっていく感覚がある。なんとギーガーは『エイリアン』に起用される前だった。

ハルコンネンの音楽はゴシック風のロックバンド、マグマ、フェイド・ラウザ役はミック・ジャガー。メンタート役はウド・キアー、ハルコンネン男爵はオーソン・ウェルズと、音楽やキャストもどんどん決まっていく。

原作にはないハルコンネンの城を考え出したホドロフスキー。メビウスが描いた絵コンテを元に、ギーガーがハルコンネン城のデッサンを描く。こんな夢のような企画があったとは…。

原作未読なので、レト侯爵の去勢や四肢切断はもともとあったものなのか、ホドロフスキーの翻案なのかわからないが、ラストの主人公殺害とともに凄まじい話の展開である。    

ホドロフスキーは「原作から自由でなくては。結婚と同じだ」として花嫁の純白の衣を汚す比喩を持ち出す。これは日本で人口に膾炙している「原作レイプ」という概念の語源だろうか。"I raped it with love"と何度も言っていた。

1500万ドルという予算。リンチ版、ヴィルヌーヴ版とはどのくらいの差額があったのか。

12時間、20時間の映画を作ろうとしていた。最初から6部作にしておけばよかったのに…。

これだけ人を集めてコンセプトを完璧に固めたのに、ハリウッドの映画会社は「彼が監督ではダメだ」と言ったという。その理由を「恐れのせいだ」と映画監督のニコラス・ウィンディング・レフンは推測している。

資金の問題で中止されたのは紙の上での製作が終わり、セットを作り出そうという頃だったという。上記の四肢切断の展開が思い出される。

ギーガーの証言で「ディノ・デ・ラウランティスの娘がやってきて、私たちから企画を奪って、ディヴィッド・リンチに渡した」という経緯を知り、ハリウッド経営陣はアメリカ人監督に撮らせたかったのだろうか、と想像した。

ホドロフスキーとメビウスの絵コンテが「ハリウッドに影響を与えた」(セドゥ)という話の流れで「ロボットの視点から見た場面だ。周囲を分析したデータが頭部に表示される。このシーンが描かれたのはこれが初めてだ。」という映画評論家デヴィン・ファラチの話を聞き驚いた。あの表現の根源が幻の『DUNE』の絵コンテにあったとは…。そこから続く、影響を受けた映画群と絵コンテの比較に圧倒される。SF映画ばかりではなく、『レイダース 失われたアーク』までそのリストにはあった。

その後、『エイリアン』にダン・オバノン、メビウス、フォス、ギーガーが携わった。「ハリウッドは私の仲間を起用し始めた。すばらしいことだ」とホドロフスキーは言うが、ハリウッドはホドロフスキーから盗んだと思われても仕方がない。

「私は製作を続けて、作品を完成させた」と言い、メビウスと共作したバンド・デシネの作品をあげるホドロフスキー。84歳の彼が何度も言うのは、「精神を解放させる」ということだ。それがあの映画のテーマだったのだろう。製作が進んでいた時代を考えると、LSDとの連想は避けられない。完成していれば立派な映画ドラッグ(ドラッグ映画ではない)になったのではないだろうか。

完成させられなかった無念を思うと、いまからでも投資家から資金を集めて彼自身の『DUNE』を完成させてほしいと思う(クラファンがあったら寄付したい)。しかし、彼自身の中では気持ちの整理はついているらしいことに、なぜか私も安心した。

その後別々の道を歩んでいたホドロフスキーとセドゥがこのドキュメンタリーがきっかけで再会し、23年ぶりの新作『リアリティのダンス』(2013年)をブロンティス主演で製作したという。

分厚い絵コンテ集と幻の映画への鎮魂歌のようなドキュメンタリーだった。
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