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沈黙ーサイレンスーのTのネタバレレビュー・内容・結末

沈黙ーサイレンスー(2015年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

黙ってちゃ何も分からんだろ!
よし、嘘発見機を用意しろ!
とかエド時代の代官が出てくるわけじゃない。

沈黙を貫く切支丹達を責めぬく武士は当時の識字階級で、文官も兼ねた、恐ろしく老獪な体制維持の番人であった訳である。

純朴な市井の庶民を、
甘いスイーツのような、キリストが説いたとされ、その使徒パウロが原型を整えていったと言われる「愛」の教義で、
侵食と呼んでもおかしくないスピードと正確性で浸透していこうとする。

パードレと呼ばれる当時の宣教師たちは、主にラテン語の神学を修めてから命懸けで希望峰周りの長旅をして、蛮族ひしめく各地を教化していく訳だが、
無論、旧約聖書や偽典と歴史的事実からヤハゥエ(ヱホバ)が軍神であろうこと(旧約聖書:出エジプト記より)は勿論、胸に秘めていたであろうが、、、
やはり愛は偉大で、フィリアやストルゲーそしてアガペのもたらす一種のマゾヒズムとエロスを含んだ快感の渦は非常に大きく、すっかり宣教師たち自身がそれに呑みこまれていて、信徒たちの自己犠牲はそれに拍車をかけていたのであろう。

東洋にも長い歴史はあり、蛮族がこそ故の、西洋人が眉をひそめる拷問もあるのです。
それはパードレ達にとって正視に耐えかねる程の、十字軍でもやらないネっちりとした「異端審問」があるのです。
心理的要素も勿論のことで、よく練られた転ばせかたであると言わざるを得ないです。

こうして保たれた封建諸侯による幕藩体制は、その後々に人々が一種の無辜さを得てしまったが故に、金相場や条約締結に於いて大失敗をおかし、更には何度もそれを繰り返しているのは現代を見ても明らかだ。


そう。父と子が聖霊を通じて、沈黙を破り語りかけてきたなら、それは本当にそうなのかもしれないし、自身の心がそう聴かせているかは、其々、各々が結論を出すのですが、
現代に至っても、尚、後者と判断され、ある種の病気もしくは病気じみたものとされる例が多いのが、文明国と呼ばれる国々の殆どであることは、
信仰の熱意を醒めさせる社会的な病因の一つとなっていることが皮肉たっぷりではないか。
其れはキリスト教の分派としての共産主義国から、世界一の大国。更には独裁国まで、世界の隅々まで行き渡っているのが、まるで過去をかなぐり捨て、純朴さを失った、まさに羊飼いや牧羊犬を忘れた惑う羊たちではないだろうか?
羊飼いの「間引き」を恐れるがあまり、怯え切った民族がどこかの島国であろうことは、此こそ歴史的に仕方が無き次第と思われる。
何せ地政学も積極的に学府が扱わないからね。リムランドの辺境だから植民地化されなかったのが事実だろうとは思われるが。

原作では、しょっちゅうすっ転ぶある男に焦点が照てられているようだが、劇中でも重要なキーパーソンとしての役割を窪塚さんが演じている。
そう。それなんでしょう。
彼にとって、あの世界において「生」をまっとうしながらも信仰をもまっとうするには、あの時代には、その一択しか無いんだ。

そして、其の、生をまっとうすることは、洋の東西を問わず、誰しもが求められ模索する原題なんだと思います。

大型連休です。事故に気をつけて初夏をまっとうしたいですね。
駄文、最後までお付き合いいただき深甚なる感謝申し上げます。

街並みを  まちなみを
閑寂に抱く かんせきにだく
雪の夜は  ゆきのよは
広き都も  ひろきみやこも
吾が身一つとあがみひとつと


詠み人知らず
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