ぷくたん

さよなら、人類のぷくたんのネタバレレビュー・内容・結末

さよなら、人類(2014年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

※2015年9月8日の感想です。


「さよなら、人類」を観た。




面白かった。




面白い映画には感想を述べることが礼儀作法だと思うので、感想を述べます。




全体的に顔が白くて面白かった。




シャボン玉で遊んでいる子供が楽しそうだったが、あんな危ないところで遊んでいるとお母さんに怒られるのではないかと心配になった。




馬が興奮していて心配な気持ちになった。




ヨナタンという名前の“ヨナタン”という響きが心地よくて、映画が終わってから何度もヨナタンと言ってみたら気持ちよかった。




サムとヨナタンの威風堂々とした振る舞いには仕事に対する威厳を感じた。




待ち合わせの日にちがわからなくなてしまうのは大変なことだと思った。




若い小太りの母親が子供と戯れているけど、どこからか鳩の鳴き声が聞こえてきて、きっとこの子も窓の外を眺めて煙草をふかしながら明日の生活のことで頭を悩ますことになるのだろうなぁと思った。




歯抜け親父は日本円にしていくらくらいの値段で売れるのだろうか。




若者の顔は白くない。



・・・。




きっとこういうことです。


まず、この映画はとてもまじめな映画なんです。


実存的な理不尽さっていうのか、そういうのを淡々と描き出している。


なので、鳩はお金がないことで悩むんです。


素晴らしい理念も、明日への希望も、ただ「みんなを楽しませたい」というヨナタンの思いも、狡猾なロシア人を成敗する陛下も、枝の上で「ほっほー」ってなく鳩の反省のように、無情にも蹴散らされたり、蹴散らされなかったりするのでしょう。




実存って、自分の在りようを了解しながら未来の可能性に自分を投げかけるっていう構造をとります。


これって別に「未来に向けて頑張ろう」とかそういう価値を含んだことじゃなくって、人間の基本的な姿のことです。


トイレ行きたくなったらさ、「ああ。尿が出そうだな」っていう今の自分の姿を了解して、“トイレに行って排尿している自分”の姿を思い描いて、その姿に今の自分を投げかけて行動しないと漏らしちゃうわけだしね。






そういうわけで、今日が火曜日だとわかってないと明日は水曜日だと分からないわけで、木曜日かなぁと思ってしまうこともあるわです。


物語に登場するある人物は、今日は火曜日なのに水曜日だと了解していました。


そして、頭上では鳩が実存を省みて「ほっほー」って鳴いていました。




そんな話。




だ。




か。




ら。




苦虫を噛み潰した表情に陥るのがこの映画のだいご味なのではないのかなぁと感じました。






・・・それにしても、日本でのこの映画の宣伝には、お笑いの方々の賞賛コメントが使われているようだ。。。

そのコメントだけ読むと(倉本氏のコメントは別として)、捧腹絶倒コメディ映画と勘違いしてしまいそうで心配になる。。。


それに邦題は「さよなら、人類」だけど、原題は「実存を省みる枝の上の鳩」っていうらしいよ。


“実存”ってのがキー概念なのに、タイトルにもどこにも入ってないしなぁ。


僕も原題を知って見直してから、要所要所で鳩の鳴き声が聞こえてくることに気づいたり、エンディングシーンが腑に落ちた感じになれたよ。




あと、印象的だったのは、映画館で一緒に観ていたお客さんの中に、最初は大爆笑していたのにだんだん笑わなくなっていった人がいたってこと。


彼は、どう感じながら観ていたんだろうか。


もし、真摯な態度で観ていたら、彼のように最初笑えたけどだんだん笑えなくなってきたってのももっともだろうな。それは倉本氏もコメントで書いていた通り。


でも、ひょっとしたら、「大爆笑映画だと思ってきたのにわけわかんないよ。つまんないよ」ってなっちゃったかもしいれない。




・・・まぁ、それはそれでいいんだろうな・・・そういうのも含めて「実存を省みる枝の上の鳩」ということなのだろうし・・・。