Fitzcarraldo

駆込み女と駆出し男のFitzcarraldoのレビュー・感想・評価

駆込み女と駆出し男(2015年製作の映画)
2.6
井上ひさしが十年をかけて紡いだ、井上文学の到達点とも言うべき連作短編集を原作に、原田眞人が映画用にアレンジした脚本を自ら監督した時代劇。

亡くなるまで鎌倉に20年住んでいた井上ひさしであるから、鎌倉にある東慶寺の話をどこかで聞いて題材にしたのか…はたまた最初の妻である西舘好子が歳下のスタッフの男性のところへ、まさに駆け込み女のように逃げ込んだところから発想しているのか…

元妻である西舘好子が井上ひさしから家庭内暴力を受けていたと『家族戦争』(2018)で告白。『修羅の棲む家』(1998)でも取り上げたらしいのだが、出版業界の闇に潰されたのだとか…

「肋骨と左の鎖骨にひびが入り、鼓膜は破れ、打撲は全身に及んでいた」

しかし名だたる大手出版社は売れっ子作家である井上ひさしを地位を守るため、離婚の原因は西舘好子の不倫の所為だとして彼女をこぞって悪者扱いした。

新しく本を出せば、ある程度の部数は計算できる先発ローテーションのひとりのような井上ひさしだからね。そりゃ業界筋からしたら、みすみす自ら売れない要素を作る必要はないからね。

やはり大手のやることは怖いね…
これが世の中の基本ベースと考えるべき。
全てに金が絡んでる汚い世界。

自分の人生のなかで井上ひさしを通ったことは一度もなかったので、何も知らなかったのだが、少し調べただけで怪しいのが出るわ出るわ。

あったものをなかったとは云うだろうけど、ないものをあったとは云わないだろうからね…。

いや人によっては、ないものもあったと云うか…

真相は当事者や近しい人にしか分からないから、どちらの肩を持つ気もないのだが…

しかし、井上ひさしと云ったら人気作家というイメージを持つ人が多いと思うし、井上ひさしと西舘好子が並べば明らかに権力を持ってるのは井上ひさしであるのだから、そこは弱者である西舘好子の側に立ちたいと思う。

ということで、全く映画とは関係ない話をしてしまった。

原作未読で、前情報も一切なしで拝見。

先ず誰もが引っかかるであろう異様なほど早口で喋る台詞回し。登場人物全てが早口。このテンポで2時間超えは疲れる。90分が限界じゃない?あと常に早口だから、テンポが変わらない。感情の押し引きや、笑い待ちや、余韻などが一切なく一定のテンポでサァっと駆け込むように過ぎ去ってしまう。

これは明らかに敢えて演出プランとしてやってると思われるのだが…

この早口によって台詞を耳で聞いた時に、音で聞いても漢字が浮かばないことが何度もあって、何を言ってるのかがワカラナイ。

字面を目で見れば決して難しくはないのだが、音だけを耳にすると、途端に分かりにくい。監督は自分で台詞を書いてるのだから、当然、理解してるのだろうけど、その台詞を初見の人が字面を見ることなく、音だけで聞いた時に理解できるかを判断するのも監督の役目なのでは?

自分が書いてるし、客観的になれないなら、脚本を知らない初見の人を現場に立たせるとか…何かしら方法はあったと思うけど…

音で聞いて、その音の漢字や字面が浮かばないような台詞なら、わかるような台詞に変えるべき!音で聞いてもわからない耳障りの悪い単語を、敢えて台詞として使う、その言葉を選択するセンスの悪さを感じてしまう。

教養がないから分からないのだ!と云われてしまえば、仰有る通りなのかもしれないが…

落語の『大工調べ』のサゲを初めて聞いた時に、え?いまのどこがオチたの?と、なぜみんな笑ってるのか皆目検討もつかなかった。

【細工は流流仕上げを御覧じろ】

そもそも、この言葉を知らないとついていけないのだ。なので何も知らない自分が悪いと云われたらそれまでなのだが…

日本映画専門チャンネルで放映した駆け込み女と駆出し男は、字幕放送にも対応していたので、途中で字幕ONにしたら、途端に理解が進むという。日本映画見てるのに日本語字幕で見てるという…なんとも情けない。

「戯作本」

これを字面で見たらなんてことない。

「ゲサクボン」

いきなりポンッと「ゲサクボン」と言われても、漢字が浮かばないのよね。

もっと他に充当する単語がなかったのか?耳で聞いても分かりやすい言葉に変えるべきじゃないかな?

「ゲサクボン」が、どれくらいスタンダードなのか?大抵の人は「劇作本」の漢字が浮かばないと思うけど…

特に前半は字幕なしで見たので、何を言ってるのかワカラナイところ多数。小説でも読めない漢字があっても自分語として何となく読んでスルーできる人と、いちいち調べ上げて何と書いてあるのか理解しないと先に進めない人とがいると思うが、後者のタイプの人は本作は最後まで見るのが厳しいだろうね。そんな方は是非、字幕版で見ることをオススメします。

漢字ってこんなに便利なのねと気づかされるでしょう。日本ってカタカナや平仮名もあるけど、やはり基本は漢字の国なんだなと改めて思う。

ゲサクボンじゃ分からないけど戯作本なら、すぐ分かるというのは不思議な感覚。


原田眞人監督はハワード・ホークスが好きらしく“His Girl Friday" (1940)のようなスクリューボール・コメディをやりたかったのではないかと…

だから早口にさせてたのね。江戸前のスクリューボール・コメディってことね。にしても…早口にすりゃいいってことじゃないと思うけどね…


あと背景でCGの合成とか要らんのよね…
CGのクオリティは何とかならんのか…もっと馴染ませろよ!時代劇にCGとか一番不釣り合いなんだよ!CG使ってもいいんだけど、分からないように自然に馴染ませろよ!それが無理なら、初めからCGに頼らないようにセット組むとか、ロケ地を探すとか、何とかしてほしい!

冒頭から萎えるんだよ!

あと提灯の光…ニセモノだろ?
たぶん提灯の中にLEDかなんか仕込んでると思うんだけど…光が一定なんだよね。中に本物の蝋燭の火であれば、動く度に火は揺らぐはずやねん。不自然すぎるほどに安定して強い光を放っている提灯。んー…不自然。そういうところでウソつかない方がいいと思うんだけどな…


光といえば満島ひかりの存在感。
お歯黒での妖艶さと説得力。素晴らしかった。彼女が映ることで時代劇の中での実在感があった。

連作短編集を一本に纏めたことにより、途中途中で満島ひかりが消える!物語からいま完全にいないことになってない?ということも満島ひかりの存在感が際立つからこそ逆にいないことが目立ってしまった。


満島ひかり演じるお吟が口にする、じょごのお国の言葉「べったべった だんだん」(いつもいつも ありがとう)ここも最高なのだが…余韻がないのが残念。


戸田恵梨香が演じるじょごの頭突き2発は笑ってしまった。


想像妊娠してしまった神野三鈴演じるおゆきに、大泉洋演じる信次郎が蜂蜜浣腸するってとき、進次郎さん普通にいるんだけど…女人たちもみんな傍にいて見守ってるけど、目を伏せなくていいの?設定はキチンと守らないと…自分たちで崩してはいけないんじゃない?

あとラストで馬琴のところに転がりこむのもなぁ…別に要らないんじゃない?
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