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奇跡の2000マイルのNMのレビュー・感想・評価

奇跡の2000マイル(2013年製作の映画)
3.0
原題 Tracks。足跡、わだち、通った跡。
けっこう硬派で渋い作品。

本人の回顧録がもと。
あるオーストラリアの女性が一人旅に出る。砂漠を単身で横断。約2700km。
砂漠のおともといえばラクダ。オーストラリアの野良ラクダの頭数は世界一で身近な動物らしい。彼女は荷物を運ばせる3頭のラクダ(+赤ちゃんラクダ1頭)、賢い犬1匹とで一歩一歩進んでいく。
現実に即した控えめな演出。面白おかしい脚色をしたらこのヒロインならきっと嫌がる。

個人的には大冒険に挑むロマン自体よりも、ヒロインの人となりに惹かれた。何よりも冒険に取り憑かれ、言葉少なで現代的なコミュニケーションは苦手、でも実直に生き魂を見透かすような人々からは信用を得られる。
強い人ではあるが決して完璧な冒険家ではなく、とても人間的で時には折れそうになったりする。
現代人は誰でも少なからず人間関係に疲れていると思うが、何かしらのヒントを彼女から得られるかもしれない。

作品は旅の準備が整うまでの話から始まる。
どうやってラクダを手に入れるか。
ラクダの扱いをどこで学ぶか。
旅の資金をどう得るか。

すごく端折られているが実際は相当な苦労があったことは想像に難くない。手記のほうには詳しく書かれているんだろうから読んでみたい。
家族や周りは彼女の決断を心配している。と同時に反対しても無駄なことも理解しているようす。
彼女にはとても強い衝動と情熱があるらしい。まさに冒険家マインド。
この作品では、冒険には情熱や体力だけでなく、知恵や勇気や支援者との交渉能力、住民たちとのコミュニケーション力、信頼を得るだけの普段からの真面目な行動などなど多岐にわたる分野が求められることがよくわかる。

住処もない資金もない状態で知らない人に弟子入りを願い出たことは相当の勇気。
体一つで厳しい労働に耐え、地道に信頼を得ていった。運も味方したかもしれないが目的のため比較的最短で安全な選択肢を選んだ。

もう一つの見どころは旅のパートナー、専属カメラマン。行く先々でカメラを構えて待ち伏せしている。
とても明るくて気の良いやつなのだが、とにかく彼女が最も苦手なタイプ。ご機嫌なカーラジオを流しながら静寂を壊しに来る。放っておいても一人で永遠に喋り続ける。
こういう人たちを避けたいこともあって一人旅を初めたはず。でも彼が写真を撮りに来ることはナショジオの支援の条件。
彼女はおそらく写真を撮られること自体嫌いだし、様々なポージングも注文される。私は見世物じゃないしこれは私のしたいことじゃない、と思っただろう。
現代では完全に一人になることは事実上ほぼできない。お金は誰かしらから得なければならない。交渉は必要。関係は切れない。
関係する人間を最小限に絞ったところで残った人々との関係が密になるだけ。
無愛想な彼女にも常に明るく接し続けいざという時はとっさに手助けすることは彼がとても良い人である証拠。ただ彼女からすると嫌いだというだけ。悪気がない人どうしであっても良好な人間関係が築けるわけではない。人との関係が上手く行かなくてもあまり気にしすぎる必要はないのかもしれないと思える。
苦手なことに対する彼女の葛藤は少ないセリフなのにとても伝わってくる。

取材で有名にもなったので観光客が寄ってきて勝手に写真を撮る。
砂漠へ向かう道のりでも、キャンプ場などの施設はラクダを入れてもらえないため野宿するしかない。砂漠に入ったらもっと過酷になる。
一日30キロ歩いて、写真を撮られて、砂嵐に遭って。焚き火をし、豆の缶詰を温め、時には虫も食う。風呂も入れず土ぼこりにまみれる。時には野生のラクダが襲ってくるので自分と自分のラクダを守るために戦う。
こんな日々に意味があるのだろうかと思い詰める。これは冒険家が誰しも襲われる不安なのだろう。

距離を置こうとする彼女に対するカメラマンの態度が面白い。
一度関係しただけで恋人になった気になってしまう。別に普通の反応だ。責任を感じ特別にケアしようともする。
だが彼女は冒険のほうが大事。これが男女逆なら典型的に酷い男。
価値観の違いも明らかになる。冒険や現地文化にリスペクトがあるヒロインと、とにかく撮ることが自分の使命だと信じている彼と。
決して彼女は感情がないとか薄情だとかいうわけではない。人一倍感受性が強いからこそのこの旅。

一番ぞっとする一つが、ラクダが姿を消すシーン。ラクダを手に入れ、扱いを覚え、連れていたことはお金には変えられない財産そのもの。今持っている財産のほとんどが消えたかと思うと血の気が引いただろうと思う。冒険も振り出しに戻ってしまう。
限界と安堵でその大事なラクダを叩いてしまったこともすぐ謝ることも切ない。守らなければならない存在と、不甲斐ない自責の念と。苦しいだろう。
持ち物が最小限なので、一つ物を失くすだけでピンチに陥る。

助けてくれた原住民たちが最高にかっこいい。
案内人と、言葉が分からないが長く旅をともにするうち信頼し合う関係になっていく素晴らしい経験。奇跡のよう。
彼の話す言葉が分からないことは彼女にとっては最高に居心地が良かったのだろう。
それに彼は人間からも守ってくれた。

いよいよ砂漠突入。案内人とも別れ。本当に一人きりになる。
みんなが止めろと言った。何があっても自己責任。
さらさらの砂丘と風紋が続くというより、岩と少しの草しかない荒れ地がずっと続く。
木や草が一気に減り、水の確保も重要。
灼熱でも立ち止まることは許されない。日陰がなく肌は日差しで焼け焦げる。見た光景のうちいくつかは幻覚だった。
大勢の取材陣は彼女にとって野生ラクダと同じぐらい脅威。

この期間は必然的に自分と向き合う時間でもある。テレビを観るわけでもなく人と話すわけでもないので、見つめるのは自分の過去。
彼女の家は牧場だったが厳しい干ばつに遭い破産した。母は自殺。幼い彼女は親戚の家へ預けられた。
精神的にも追い詰められていく。

これまでピンチやハプニングを運良く切り抜けてきたが、横断中ついに大事な財産の一つを失ってしまう。
観ていてその大切さは伝わっていたので、その分決別はとても悲しい。苦しい苦しい死の間際に彼女の顔を舐めて起こし最期に立ち会わせてくれた。
そしてその悲しみを吐き出せるのはやはり今唯一の自分の状態を知っている苦手なはずのカメラマン。本当に彼が明るく大らかな人物で良かった。嫌いなやつでもあったのは事実でも、同時に救世主でもあるということは実際あるのだろう。好きなやつとだけ付き合う、というのはかえって非効率な行為なのかもしれない。

旅が終わってみると冒頭の、
「どこへ行っても居場所のない者がいる 私がそうだった」
という抜粋は、今は居場所がある、という意味とも取れるように思った。
具体的な場所ができるとかではなくて、そういうことに振り回されなくなるという意味で。
人との関係を全て断って一人になりたい、と空想したことがある人すべてにおすすめ。
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