メモ魔

セッションのメモ魔のレビュー・感想・評価

セッション(2014年製作の映画)
3.9
セッション

人の命をかけてまで、音楽の叡智を追いかける。
そんな時代は終わったのかもしれない。
音楽だけじゃない。芸術、スポーツ、学術、そのどれを取っても、人命が優先される。そんな時代になったのかもしれない。
そんな時代で、厳しさに叡智への道がある事を示した映画だった。

人がこの地球で生存競争を生き抜いてきたのは、進化の過程で無駄なものを省いてきたから、そして進化に必要な物を色濃く継承してきたからだ。この作品は、その中でも羞恥の心に焦点を当てて語っていると見た。

殺す気で人にキレられた時、はたまた取り返しの付かない失敗をして自分のみならず周囲に損害を与えてしまった時。肺と肋骨の間が生ぬるい手でそっと摩られるような、そんな恐怖を覚える。
この恐怖が人を成長させる。そんな一昔前の考えを無理矢理正当化しようとする作品だと感じた。

主人公が最後のシーン、失敗できない舞台で恥をかかされた所。このシーンが良かった。
特に主人公が親に抱かれて【家に帰ろう、。】
と優しく囁かれた時に見せた主人公の表情が良い。
こうやって優しい世界に飲まれて、自分の欲望をどこかで抑えながら人生を生きる道を選ぶか。それとも憎悪と羞恥に塗れた偉大な音楽家の道を選ぶか。人類が進化を続ける限り、人は後者を選び続けるだろう。いつか人類が完成されて、進化の余地を失った時。その時にこの映画が世に出たなら、誰もこの映画で述べられている感情について理解できなくなるんだろうな。

人は満足する為に目標を設定し、その目標を達成する事で満足し切り、停滞を選ぶようになる。
叡智を求めようとすれば、目標は限りなく遠い物となり、そこまでの努力が継続できなくなる。
では、過去の偉人達は如何にして叡智を会得するに至ったのか。その答えは、恥を与えられた経験を目標へのモチベに変換した事だ。
恥ずかしい、や憎悪、の感情は、人の精神を落とし切るのと時を同じくして、次はこうしてやる。と必死にさせる効果を持つ。この効果は、満足した瞬間に失われ、その瞬間を持って人は停滞の道を選ぶことになる。
主人公の教師は、これを分かっていたから必要以上の恥と叱責を生徒へ与え、気の遠くなる目標へ踏み出させるモチベーションを創出しようとしたのだろうか。

そこまで分かっていたとしても、本気で教師を憎悪してしまうような。そんな名演技だった。
この人は音楽そのものを高度な物へ昇華する為に動いているのか、はたまたただ自分の憂さ晴らしをする為に楽隊の指揮を取っているのか。途中分からなくなるシーンも多々あった。

だが一つだけずっと心にあったのは、
【技術が本物のオヤジ達はみんなこんなだな】
ってのこと。ただただ技術のみを愛し、それに人生の全てを捧げてしまった男はこう考えるようになるんだろう。そうか俺の生まれた理由、そして使命は、この技術そのものを高度な物へ昇華することだったんだと。
そう考えたオヤジ達は若い世代へなりふり構わず厳しさを押し付けるようになるわけだ。
人の命より、今までの歴史を紡いできた偉人のバトンを後世を残すことが大切であると。そう啖呵を切っては生徒を自殺へ追い込む教師が後をたたないのはこういう理由だろう。

そんな経験が自分にもある。厳しい教授に
【あの時厳しくしてあげたから今のお前がいる】
なんて事を言われたのを思い出す。努力した本人でもない人に恩を着せられることに憎悪に近しいものを感じた。もしかしてあのセリフも、俺がまた一個上のステージへ行くために演技をしてくれたと言う事なんだろうか。今になってはもう分からない。

結局人が並大抵の努力をしても届かない領域ってのは、読んで字の如く努力だけでは到達してない領域であり、そこに何らかのスパイスが必要になるわけだ。罪深いことに、人はその領域に到達した者を評価できる程の目を持ってしまっている。
このスパイスについて、人はこの歴史の中で一つ解を見つけてしまっている。それが【羞恥心】と【憎悪】だ。これを原動力にすることで、人は何倍も物事へ執着し技術を高みを押し上げて行くことができる。この過程で振り落とされ自殺に追い込まれる人は後を絶たないだろう。それでも芸術を一つ上の段階へ引き上げようとした時、人間はまだその解を【厳しさ】にしか見出せないでいる。

最近よく、教師の暴行や自殺へ追い込む精神的攻撃がやたらニュースになり、その度に教師側が社会から断罪されることになる。これは教育の最大効率を厳しさにしか見出せていない人類の問題だ。先生はただ、効率的に人のレベルを上げようと切磋琢磨しただけなのに、社会はそれを許してくれない。人が成長する過程に命を落とす事があってはならないと。

眠くなっちゃった一旦総評
3.9点
伝えたい事はとても伝わった。ただ、人が叱られているのを見て笑ったり、暴言や憎悪で人が成長して行く過程を見るのは直感であまり好きじゃない。だから点数は低めにしておこうと思う。
ただしこれだけは言える。人生で一度は見ておいた方がいい映画だ。人が人に厳しく当たる理由、いやもっと言えば、今後人生で誰かに叱責を喰らう時、はたまた誰かを叱る時、その目的が何なのかを自分の中で考えるきっかけになる。
この映画は、人へ羞恥と憎悪を与える方法と、その方法が目的を達成する上で1番効率的である事を教えてくれる。それは効率的であるだけで、社会が許すかそうでないかは時代次第だ。
ただし、どの時代であっても、目的を達成する為なら手段は選ばないって馬鹿で1番尊敬できる人間は沢山いて、そんな人間はいつだって憎悪や狂気に似たモチベーションを人生の何処かで取得しているって事だ。
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