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シン・エヴァンゲリオン劇場版のohassyのレビュー・感想・評価

4.0
それほど熱狂はしないもののおおよそリアルタイムで追いかけてきた本シリーズとのファーストコンタクトは、友人から借りたVHSテープだった記憶がある。
テレビ番組を録画したものだ、懐かしい。

本作と、TV版および旧劇場版との決定的な違いは、「何を昇華させようとしたか」だと思う。
そしてその違いこそが、本作がこれまでと違いしっかりと「終わった」感じを出せている要因だと思う。
もちろん時代性や庵野監督の想いの変化が反映された結果ではあるけれど。

TV版と旧劇では、ゴールとして掲げられていた「人類補完計画」について、物語としてどうにか決着を見せようとしていた。
広げて広げて広げて広げた風呂敷を、大急ぎで、やや乱暴に畳もうとしているのがありありと見て取ることができた。
それはクリエイター/人間の、剥き出しの心であり、たかだか映像如きが簡単に表現できることではなかった。
すべのキャラクターたちが自分の内側だけで何かを悟り、納得して、完結させていることも違いとしては大きいだろう。

一方本作は、広げた風呂敷はそれとして、主要キャラクターたちをとにかく丁寧に送り出し、ある種成仏させることに終止する。
それこそ「次は君の番だよ」とシンジが口に出して説明するくらいに丁寧に、ひとりひとりに向き合い、歩み寄ることで理解し、やさしく送り出す。
自分の殻から抜け出し、他人との対話を試み、他人を理解しようとするシンジの行動は、これまでのエヴァキャラクターにはほとんど見られなかったことだ。

独りよがりの考え方や行動をあらため、他者や社会と向き合おうとする描写は、第3村でのエピソードや写実的な演出からも見て取れるし、初号機同士の無益な戦いが書き割りの中で行われるのは、他人との関わりを避け自分の中だけで生きようとするもの同士の争いなぞ所詮はガキの遊びであるという暗喩だろう。

ともすれば、これまで積上げたストーリーを無責任に全て放り出してしまったように感じるかもしれない。
でも少なくとも僕は、今までよりよっぽどしっかりと着地をしたように感じた。
ああ、これで終わったなと。

「プロフェッショナル/仕事の流儀」を見て、今更庵野監督に対しての驚きは無いけれど、同じ(と言うとおこがましいが)クリエイティブの世界で生きる身としてあらためて引き締まる言葉があった。

「自分の中にあるモノなんてつまらない」

つまり、自分が「いい」と思う演出をことごとく否定して、それを超える「いい」を求めるということだ。
言っている意味はすごくよく分かるし共感しかないけれど、果たしてそんなことが現場でできるとは到底思えない。
実際、監督や脚本を担当するというのは、自分がいいと思ったものを作る行為なのだから。
でも言っていることはめっちゃ分かる、自分の外で起きた何かに対して、「うわーこれはいい」と心から感動したものこそ、自分では考えもつかないアイデアであり、至高のクリエイティブなのだ。

初日に駆け込んだりグッズを買ったりすることなく、静かに見届けたつもりではあったけれど、本作を観た後にテレビ版のラストや旧劇を観返すくらいには興奮する体験であった。

※蛇足をコメントに追記
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