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クリーピー 偽りの隣人のohassyのレビュー・感想・評価

クリーピー 偽りの隣人(2016年製作の映画)
4.0
銀獅子受賞を受けてというわけではないけれど、ここのところ黒沢清監督作品を観返している。
本作はキャストがMOZU辺りとダブっているのでそういうイメージを勝手に持っていたこともあってなんとなくスルーしていたのだけれど、びっくりするほど黒沢清的な素晴らしい雰囲気と含み、嫌さを称えた、「CURE」に続く傑作であった。
これを書いている最中に竹内結子さんの訃報が届き、一瞬フィクションと現実の境目が崩壊しそうになってしまった、ご冥福をお祈りします。

この手の作品における黒沢監督の真骨頂はやはり「嫌さ」の演出で、ごく普通の住宅街の民家をそこはかとなく嫌な感じに切り取る技術。
まさにクリーピーな隣人・香川照之扮する西野のなんでもない一軒家を、できれば絶対に近寄りたくない場所に仕立て上げる。
悪というより自由な人、今の言葉で言えば「最強の人」としてこれ以上ない嫌な隣人を見事に体現する香川照之の演技と相まって、本作の肝中の肝である。

一方でいつもなんだかぼーっとしている印象の強い西島秀俊は、刑事という仕事も家庭も一見大切にしている風な「正しい男」を演じるが、そのぼーっとした印象が良い意味で危うさになっていてどうにも心許ない。
家庭を大切にすると決めて現場を離れ大学講師に転職したはずなのに、結局は自分の欲求に従い未解決事件の操作に乗り出してしまう。
仕事に没頭するが故にすぐ近くにいるはずの妻の異変に気づくことができず、気づいた時には取り返しのつかない事態になってしまう。

どれだけおかしいと思っていても、なかなか切り捨てることができないのが隣人の難しさであり、怖さでもあろう。
どこかに居を構えるというのは、安定を買うようで実はある種のリスクも手に入れてしまうわけだが、ゼロメートル地帯と言われ水没リスクに怯える我が家の方が、危険な隣人に当たるよりずっといい。

どの場面も強い印象を残しているけれど1番興味深かったのは、川口春奈扮する未解決事件の遺族・早紀を大学に招き尋問するくだり。
なんでもない大学のオープンスペースがいつの間にか取調室のような閉ざされた空間になり、また戻ってゆく様をワンカットで描ききる、演者とスタッフが一丸となった迫力が伝わって観ている側も思わず力が入ってしまう名場面だ。
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