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レディ・バードのohassyのレビュー・感想・評価

レディ・バード(2017年製作の映画)
4.0
公開時に観るべきだけれどスルーしてビデオグラムになったらなったでいつでも観られると先延ばしにしがちな映画のジャンルは?
と言われれば例えば本作と答える。
映画好きとは口先ばかりだと言われても、反論しようがない。

そんな作品を観ることにしたのはひとえに「ストーリー・オブ・マイ・ライフ わたしの若草物語」が素晴らしかったからに他ならない、いや本当に良かった。

どちらも少女が大人になっていく過程を丁寧に描く作品ではあるが、本作はより狭い世界をリアルに、かつコミカルに描くことで誰にも身に覚えのあるあの時期を、嫌が応にも思い出させる。
高校3年生の尖り方としては少し遅いのでは?と個人的には思う部分もあるけれど、未成年から成人へ成長し、親離れや異性との肉体関係、社会との関わりが始まるデリケートな時期であることは間違いがない。

親元から離れて都会で生活したい、という思いを持つものとしてそれはどんな欲求よりも強く、時に苛立たせたり、焦らせたりもするが、そのためならどんな事でもするという行動力にもつながることを、僕はよく知っている。
僕は本作の母親が娘にしてしまうような親の縛りはほとんど受けなかったけれど、それでも都会に出て1人自由に行きたいと、結構強く考えていた。
成績を改竄したりはしなかったけれど、チャンスがあったらしていたかもしれない。

本作の主人公、クリスティーン=レディバードは、母親との強烈な反目を日課にしながら、押し付けられている(と感じる)全てのものに尖りまくる。
生まれた街を憎み、貧乏を憎み、学校を憎み、宗教を憎み、果ては自分の名前まで憎み、レディバードと呼ぶことを親兄弟や友達に強要する。
その全てが、細くて鋭い針となり、自分自身を指し貫く。

レディバードに対する母親の言動は確かに目に余るが、親の気持ちも分かる身としては、同情する部分も多々ある。
きっとすごく真面目なのだ、何より母親としての責務に追われているのだから。
それはもちろん子供にはなかなか伝わるものではないし、自分の子供だわからといって操り人形ではないのだから、きっと人ひとりを思い通りに誘導しようなどと考えるべきではないのだろう。
でも、多くのお母さんはすごく優しくて子供のことをちゃんと見ているから、時に求めていることと真逆の関係になってしまう。
父親の場合はただの支配欲であることが多いので注意したい。

紆余曲折を経て、レディバードはクリスティーンへと成長し、故郷であるサクラメントや母親に対して、優しく美しい感情を持つことができるわけだが、そのきっかけのひとつであろう、学校でのシスターとの会話が忘れられない。

「あなたは街の気に入らないところを事細かく書き連ねているけれど、この町にとても関心があるのね。関心があることと愛しているというのは、同じことじゃないかしら?」

そう、お母さんだってあなたに関心があるから、あなたをよく見ているから、口やかましくなれる。
やり方を少しだけ間違っちゃっただけなんだ。

監督脚本のグレタ・カーヴィグはコメディ俳優として名を知られているけれど、以前から作家志向が強く、脚本の執筆を続けていた。
だから監督デビュー作とは言え突然才能を開花させたわけではないようだけれど、それにしても完成度が高い。
見た目の成長モノにとどまらず、しっかりと社会的な風刺を込めて厚みを持たせているし、コメディをコメディにしすぎない抑制と計算が効いた演出は、ある種の風格すら感じられる。

公開中の新作はもはや巨匠の域と言える名作だけれど、実は驚く事でもなんでもない、当たり前のことなんだなあ。
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