ninjiro

男達の別れ98.12.28@赤坂BLITZのninjiroのレビュー・感想・評価

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誰のせいでもなくて イカれちまった夜に

すいません、これはレビューではありません。

メジャーデビューアルバムの「Chappie,don't cry」で初めて彼らを知った際、そのメンバー布陣は佐藤伸治(vo.サトちゃん)を中心に、小嶋謙介(gt.)、柏原譲(ba.)、茂木欣一(dr.)、ハカセ(key.)の5人の編成。
ダヴやレゲエのリズムを借りながら、緩やかな陽光を背に浴びたような、フワフワとした柔らかな空気を持ったポップバンドだった。
リズムの心地良さ、キーボードのアレンジ、そしてサトちゃんの独特な声と捻くれた詩の世界、何よりその曲の良さに魅了され、一気にファンになった。
とはいえ、その当時寝ても覚めても音楽に囲まれて過ごしていた私には、数ある好きなバンドの一つ、であったと記憶している。
その後、「Corduroy's mood」や「King Master George」とまあまあ順調にキャリアを重ね、徐々に彼等に対する私の熱も上昇し、近い開催地のライブには足を運ぶようになった。
特に後々のライブまで歌い継がれる事になる、「救われる気持ち」「いい言葉ちょうだい」「頼りない天使」といった曲の存在が大きかった。

当時のライブハウスは満員、とは程遠い状況が多く、おまけに開演後もバーカウンターやら奥の席にたむろする人達ばかりで、皮肉にもステージの真ん前には観客である私達にも十分に踊れるスペースがあって、それをネタにしてサトちゃんは度々冗談交じりに「踊れ踊れ!」とアジっていた。
後年、彼等のライブでの真価が評価されたが、当時から非常に演奏が達者で、ドップリではないが、軽快に踊らせてくれるバンドだった。

私たちにとってそれは、とても幸せな空間だった。

次のアルバム「Neo Yankee's Holiday」では、それまでの軽快なポップバンドとしてのセンスを残しながら、彼等の素養として必然的にダブの世界に傾倒して行った。

小嶋さんが脱退したのはそれからすぐだった。

ギターが抜けちゃうって大丈夫なの?なんて外野の心配を余所に、個人的に思い入れの深い名曲「Go Go Round This World」「Melody」などをリリース。

私はその頃にはすっかり彼等に夢中になっており、営業で地方のレコード屋(まあCD屋だが、ここではそう呼ばせて貰う)のトークイベントに出演するとかいう情報があれば結構遠くまでいそいそと出かけたものだ。

なんやかんやでその当時初めてサトちゃんと欣ちゃん二人に一ファンとして対面した。
レコード屋のイベントの後、普通のお客さんと一緒に溶け込んで、相変わらずマイペースで誰にも声を掛けられることもなく、自分たちの好きなを音源をひたすらに探す彼等を発見して、決死の覚悟で声を掛けた。
その覚悟のスカし具合には危うく脱臼する程。
道を訊かれたあんちゃんぐらいの温度で普通に接してくれた彼等。
しかし終始恥ずかしがる私に、ずっと子どもみたいにはにかみっぱなしのサトちゃん、思い出すだにちょっと笑ってしまうような気まずい空気の中、今のお気に入りは「Massive Attack」だよって教えてくれた。

レコード会社の移籍を挟んで、彼等にとって聖地とも言うべきプライベートスタジオを手に入れたという話をインタヴューでする時のサトちゃんは、本当に嬉しそうだった。

かと思ったらハカセ脱退の報。

この時は本当にもうダメなんじゃないかと思った。
このバンドの中心は、作詞作曲を一手に手がけるサトちゃんであることに間違いないが、楽曲の肝であるアレンジの部分ではハカセに負うところが大きいのではないか、と、我々は感じていたからだ。
あの曲のあの音も、この曲のこの音も、ハカセの音だよね…?

しかし、そんな心配は杞憂だとばかりに、彼等は一大転換ともいうべき大名曲、「ナイト・クルージング」をぶつけてくる。

一聴、息が止まるかと思った。

まさか、存亡の危機をこんな形で跳ね返してくるとは。

そこにはもはや、あの日、やわらかな陽光を背負っていたポップバンドの面影は全くない。

全く無駄無く厳選された音、苦しくなるほどに突き詰められたそのサウンドは、産まれた瞬間からその後新たに始まる音楽の古典の趣を湛えていた。

その後、時を待たずしてアルバム「空中キャンプ」を発表。雪崩打つように「Season」、「Long Season」をリリース。
その何れの音源も、「ナイト・クルージング」の衝撃を更に上回るものだった。

それは、常軌を逸した音だった。

小嶋さんの代わりにサトちゃんの弾くギターはヘタウマの境地を超えて只響く打楽器の様にプリミティブで、それは音楽というよりも音響。時に悪夢のパーティの様に、時に真っ白で空っぽな空間に静謐に響く様なエフェクト、雨の日、夕暮れ時、静かに吹く風、それらを象徴する音は当時のサトちゃんの心象風景だったのか。

ずっと飽かず聴いていた。
生活の音になるまで。

あのフィッシュマンズが、こんなバンドになるなんて…。

最後に私がライブに行ったのは、「若いながらも歴史あり」ツアーだった。

そこで見たのは、かつてのフィッシュマンズと同じく、上質な音楽を届けようとする真剣なステージングだった。
ハカセの抜けた穴を埋めたのはHONZI、鬼気迫るパフォーマンスは本当に素晴らしく、未だに忘れられない。
しかしそこには、かつてのようにサトちゃん、サトちゃんと声を掛けられて照れるサトちゃんは居なかった。
佐藤伸治、かれは神々しく、混じり気のない芸術家としてそこに堂々と立っていた。
自らのプロデュースした音の波をバックに誇らしげに、しかし目深に被ったジャミロクワイ風の帽子で表情を読まれないようにしながら、踊るように歌っていた…。


ロッキングオンの記事でフワッと知った。
佐藤伸治が亡くなったと。

その事実が、全く現実に染み込んで来なくて、
何度も聴いた「空中キャンプ」をまた聴く。

あの時、生活の空虚を空虚としてたしなめてくれた音は、もう別の意味を持ってしまっていた。

サトちゃんが好きだと言っていたMassive Attackの新譜「Mezzanine」を手に取ってみた。

彼が必死になって叶えたかった音とは、という答えを見せつけられているような気がして、余計に悲しくなった。


結局、あの時に私の心に空いた穴は今も、
なんの手当てもないままにポッカリと口を開けている。
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